2018年主題聖句 4月の聖句によせて

  • 2018.04.02 Monday
  • 00:34

2018年主題聖句 「神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」                               ヨハネの手紙機。隠款錬隠雲

 

 

4月主題聖句「子どもたちをわたしのところに来させなさい。」・・・そして、子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

                              マルコによる福音書10章14節〜16節 

 

 

 人間同士が互いに愛し合うということは、いったいどのようなことを言うのでしょうか。

 

非常にすぐれた頭脳をもって、高い能力を身につけている人でも、人を見下したり、敬意をもたずに蔑んだりする人もいます。そういう人でも愛を説いたり、勧めたりするのですが、その人から蔑まれたり、見下されたりしている人は、その人から愛を受け取ることは、通常はできません。

 

 

 つまり愛は、いくら説いたり、解説されても、愛が理解できたり、感じたりするという事柄なのではなくて、きわめて具体的な、身体的かつ精神的な、つまり全人格的なかかわり合いのなかで、なんらかの感動をともなう仕方で、わたしたちの経験において、伝わる事柄だからです。

 

 

 

 イエス・キリストは、神が愛でありたもうことを身をもって示された方です。

 

 

 愛をどれほど多く語ったとしても、愛を具体的に示されなかったとすれば、愛の言葉は虚しく消え入るだけですが、イエス・キリストは、ご自身のすべてを十字架上で、殺され、犠牲となられたことによって、神がわたしたちを具体的に愛してくださっていることを、あきらかにされました。

 

 

 

 神の独り子なる神の子イエスが、わたしたちの「罪のあがない」として、十字架で死んでくださったことにより、わたしたちの罪は、赦され、あたいなしに神の子とされました。ここに愛があります。

 

 

 

 この愛を、わたしたちは、すでに、あまねく受けています。

 

 

 現に受けているこの犠牲を愛を、具体的な感動の経験として、感じとり、認識し、この愛によって包まれているならば、わたしたちは、この現に受けている愛、現に包まれている愛を、こんどは、わたしたちの隣人に向けて、反射すること、放射することができるはずです。

 

 

 

 現に受けているところの無限の、無条件の神の愛を、こともたちに、隣人にむけて伝えることを得させてくださいと、共に祈りましょう。

 

 

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2018年3月 三月の聖句によせて 「せんかたつくれども、希望(のぞみ)を失わず」(コリント後書4章8節(文語訳)

  • 2018.02.26 Monday
  • 16:56
  「せんかたつくれども、希望(のぞみ)を失わず」
                (コリント後書4章8節(文語訳)

 このパウロの言葉は、わたしの祖父清水安三が終生愛した言葉です。
 意味を知るために、わかりやすい現代の言葉、新共同訳と口語訳で紹介します。
   新共同訳と口語訳
コリントの信徒への手紙二 4章 8節〜9節 (新共同訳)
わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、
虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。
コリントの信徒への手紙二 4章 8節〜9節 (口語訳)
 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
 迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
 引用終わり

   この言葉「せんかたつくれども、希望(のぞみ)を失わず」が、全人格の真ん中に刻み込まれているとしたならば、どれほど、力強く生きることができるでしょうか。


 教育の目標に、「生きる力」を、国も掲げるようになりました。


 どんな苦境に陥っても、行き詰まらない。窮しない。

 なすべき事をすべてなして、もう万策つきても、決して希望を棄てない。

 虐げられても、迫害されても、殴られても、投げとばされても、決して滅ぼされない。

 

 そんな、ものすごくしぶとい、生きる力が充満して、尽きることのない生命力を、自分自身の奥深くにもっている。そういう人間に育てたい。


 これは教育者の究極の祈りです。

 

 こども自身の人格の最深部に、こういう確信が核心に存在している人間を育てるには、どうすればよいのか。


 それは、神さま(イエス・キリスト)が、わたしの人格の最深部に、核心に、共にいてくださるという確固たる信念・信仰によって培われると。わたしたちは考えます。


 それから、人格は、その人単独の存在をさしているのではなく、人格は隣人とのかかわりのなかでこそはじめて人格たりえる。

 

「虐げられても見捨てられず、迫害に会っても見捨てられない。」

 

 どんな苦境に陥っても、神と人から見捨てられることはないという確信は、他者・隣人・神との関係への確たる信頼によって築かれています。

 絶対他者からの見守りの確信。これほど強い生命力はほかにありません。

 

 

JUGEMテーマ:建学の精神

2018年2月 聖句によせて

  • 2018.01.30 Tuesday
  • 12:08

 人格の成熟ということが、人にはあります。

 

人は単に学習する動物ではなく、悔い改め、やり直し、工夫し、学び、熟考し、踏みだし、前進してゆきます。

 

 この成熟の過程が人生です。

 

 この成熟には、独力でできることだけでなく、どうしても「隣人との交わり」というものが、触媒のように必要です。

 

 成熟は、発酵です。

 

 人格は、よき酵母によって、適切な「環境との交わり」によって熟成するのです。

 

 幼児にとって、大人は成熟した人格者として登場してこそ、適切な人格的な交わり、環境との交わりと言えるでしょう。

 

 わたしたち大人は、教育者として、また養育者として、幼児の周囲に、適切な触媒となるのです。

 

 だから、わたしたちは、「吸収する心」をもつ幼児には、適切な「言語」をもって対峙するという役割を担っています。

 

 この邪悪な世界には、残念ながら、幼児の人格成長にとって、不適切な「言葉」が氾濫している現実があります。

 

 いやおうなしに、こともだちは、不適切な言葉も適切な言葉と共に吸収してしまいます。

 

 それゆえ、幼児には、吸収した言葉を判断し、言葉を自在に、適切に駆使する聡明な良心が育っていなければなりません。

 

 それゆえ、教育の根幹には、「聡明な良心」を養うという重大な目的との往還が必要なのです。

 

 ところで、「聡明な良心」は、生まれながらに人間に備わっている訳ではありません。

 アヴァロンの野生児の事例によってよく知られているように、人間は、その適切な人生の時期、すなわち幼児期に、適切な言語環境(人との交わり)なしには、高度な人格的な内言(こころのなかの言葉)・外言(外に発する言葉)を修得することができません。

 

 もちろん、人間は、神によって創造された「神の似姿」(イマーゴ・デイ)として、被造者のなかで最も秀でた存在として、神の栄光を輝かせる存在ですから、潜勢力として、成長し、成熟し、完成すべき存在として生まれてきます。

 

 しかし、この潜勢力(ポテンシャル)は、適切な環境との刺激の交流によって発現するのです。

 

 神は、この適切な関係性を、「愛」だということを示されました。

 

 愛は、神の存在から発出して、私たちにたえず注がれています。

 

 神は愛なのです。神は愛の発出源であり、愛そのものとして、わたしたち大人を通して子どもたちに、適切な交わりを与え、「聡明な良心」を人格の中心に形成してゆくのです。

 

 

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