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- 2019.03.19 Tuesday
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「せんかたつくれども、希望(のぞみ)を失わず」
(コリント後書4章8節(文語訳)
このパウロの言葉は、わたしの祖父清水安三が終生愛した言葉です。
意味を知るために、わかりやすい現代の言葉、新共同訳と口語訳で紹介します。新共同訳と口語訳
この言葉「せんかたつくれども、希望(のぞみ)を失わず」が、全人格の真ん中に刻み込まれているとしたならば、どれほど、力強く生きることができるでしょうか。
教育の目標に、「生きる力」を、国も掲げるようになりました。
どんな苦境に陥っても、行き詰まらない。窮しない。
なすべき事をすべてなして、もう万策つきても、決して希望を棄てない。
虐げられても、迫害されても、殴られても、投げとばされても、決して滅ぼされない。
そんな、ものすごくしぶとい、生きる力が充満して、尽きることのない生命力を、自分自身の奥深くにもっている。そういう人間に育てたい。
これは教育者の究極の祈りです。
こども自身の人格の最深部に、こういう確信が核心に存在している人間を育てるには、どうすればよいのか。
それは、神さま(イエス・キリスト)が、わたしの人格の最深部に、核心に、共にいてくださるという確固たる信念・信仰によって培われると。わたしたちは考えます。
それから、人格は、その人単独の存在をさしているのではなく、人格は隣人とのかかわりのなかでこそはじめて人格たりえる。
「虐げられても見捨てられず、迫害に会っても見捨てられない。」
どんな苦境に陥っても、神と人から見捨てられることはないという確信は、他者・隣人・神との関係への確たる信頼によって築かれています。
絶対他者からの見守りの確信。これほど強い生命力はほかにありません。
JUGEMテーマ:建学の精神