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- 2019.03.19 Tuesday
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◆聖句によせて <クリスマス・メッセージ>
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」 ルカ2章14節
最近、『ALWAYS 三丁目の夕日』を続編と共に、観ました。二度目でした。
一作目のなかで、芥川賞を目指す貧乏文士龍之介おじちゃんが、ひょんな事で同居するようになった10歳の淳之介少年のために、サンタのプレゼントを演出するというシーンがあります。
この淳之介少年は、時代設定として、ちょうど私自身と重なるので、この映画のシーンは、昔の生活感がスウっと伝わってくるのです。わたし自身がサンタのプレゼントの思い出を振り返ってみると、靴下を枕元に置いて眠ったなと思い出せるのは、小学校二年生頃でしたでしょうか。
子ども時代、わたしの家族は布団を出し入れする生活でした。
部屋の隅の一番端っこに布団を敷いて寝ることを好む子どもでした。
夏の暑い夜には、壁の冷たい感触を味わえるのは一番端っこだったし、カーテンの模様、それはクリスマスツリーのような樹木のデザインでしたが、それを眺めながら物語の空想に耽ることが楽しいこともあったからです。
クリスマス・イブにはサンタクロースが来ることが楽しみで、プレゼントにも胸を膨らませていたものでした。
淳之介少年が10歳と言えば、小学校4年生です。
そろそろサンタクロースが「お父ちゃん・お母ちゃん」ではないかと感づきはじめるか、もう感づいている年頃です。
映画の中では、一瞬ですが、淳之介はサンタクロースを信じていましたね。
彼は急いで家の外まで飛んでいってあたりを見回しました。
すると手を振って帰って行くサンタクロースを目撃するのです。(実は龍之介おじちゃんの演出だったんでだすけどね。)
「サンタクロースって嘘だと思っていたけど、本当だったんだ。」
淳之介少年は目を輝かせながら呟き、
「おじちゃん!サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれたんだよ!本当にサンタクロースっていたんだね。」、
「おお、そうか。何をもって来てくれたのかな?あけて見せてごらん。」
「うわああ、万年筆!どうしてボクが欲しかったものがわかったんだろう?」
確かこんな会話が続きました。
目をキラキラさせて喜ぶ淳之介少年を、微笑みながら見つめるおじちゃん。
つい泣けてしまうシーンでした。
神さまは、愛する人の喜ぶさまを観たいというこころを私たちに創造してくださいました。
神さまが創造してくださったわたしたち自身の、この「喜びの構造」は、偶然の積み重ねで進化してきたものなのでしょうか。
偶然にしては、あまりに手が込んでいますね。
神さまご自身がわたしたち人間が喜ぶさまを観て、実は喜びたいと願っておられるのではないでしょうか。
「喜びの構造」は神さまの願いに由来しているからこそ、わたしたちの愛の基本構造となっている。
わたしたち大人たちは、子どもたちに、この愛の基本構造への揺らぐことのない信頼感を、魂の奥底に育てる責任があると考えています。
JUGEMテーマ:建学の精神