火星に取り残されてしまった宇宙飛行士マーク・ワトニーが、限界状況のなかで、生き残るために、ただちにその知力、気力を尽くして、ただひとり行動をはじめ、無事地球に帰還するまでを描いた映画『オデッセイ』を観ました。
最初のシーンで、The Martian(火星の人)という文字が浮き上がってきたので、「オデッセイ」は日本公開向けの題名だとわかりました。おそらく、『2001年宇宙の旅』(原題A Space Odyssey)の影響じゃないかと思います。
the Odysseyというのは、ホメロスの叙事詩のことです。おそらく、極限の孤独の中でも堅忍不抜の気力と科学的知性をもって艱難を切り抜けて行く主人公を、古代の英雄になぞらえたのでしょう。
この映画の素晴らしさは、ワトニー飛行士のその最後まで、希望を失わずに、生き抜こうとする逞しさもさることながら、彼を救出しようとする、仲間のクルーたちの友情、さらには、国境を越えて、NASAに協力を申し出た中国の科学者たちの博愛の精神には、心打たれるものがありました。
アメリカ映画が、中国をこのような友情篤き隣人として描けることに目頭が熱くなる思いがしました。 ただひとり、宇宙のかなたに、置き去りにされた男の無事を、全世界の人々が、文字通り祈りを合わせるのです。「70億人が彼の還りを待っている」というキャッチコピーがまさにぴったりです。
この、人の善意を底なしに信じようとする100%性善説の映画に、深い感動を覚えながらも、けれども、同時に一抹の哀しい事実を想起しないではいられない現実世界に生きているのが、わたしたちです。
イラク・アフガン戦争で、生還した兵士のうち、精神的な傷害を負ったアメリカ人兵士は約50万人。毎年250名以上が自殺していると言われます。(『帰還兵はなぜ自殺するのか』)
ひとりのために、全世界が祈りを一つにできるのに、アメリカの若者たちの命が、戦争の傷手のために、毎日のように失われている状況があることに矛盾を感じます。世界は、平和をこころから願い、祈っているのに、どうして人は戦争を続けているのでしょうか。
80年前も、わが国の多くの人は、平和だと思い込んでいました、しかし、実際は、中国で日本は、宣戦布告なき戦争をはじめていました。今のわたしたちも、今の日本は平和だと思っています。しかし、わたしたちがそう思っている間に、戦争の準備がなされています。こどもたちが戦場に送られる前に、平和のうちに義の実を蒔こうではありませんか。