◆1月の聖句によせて
「平和の福音を告げる準備を履物としなさい。」
エフェソの信徒への手紙6章15節
昭和のグレダ・ガルボ、原節子さんが天に召された。いままで一度も観たことがなかった彼女が出演した映画を、このところ立て続けに観ました。いずれも名匠小津安二郎作品です。 まず、『晩春』、そして『秋刀魚の味』、『東京物語』、『麦秋』。いずれの作品も、「家族」、「父と子」、「兄妹」、「子どもたち」のありふれた日常の風景が淡々とつづきます。戦争で徹底して傷つけられた民衆が、驚くほど幸福そうに生きている日常が静かに描かれます。そこはかとなく漂うのんびりとした庶民の暮らしは、観る者を癒してやみません。
こどもの頃は、10年とか20年とかいえば、とてつもなく長い年月のように思われたものでしたが、還暦もすぎると、あっというま間に思えます。
歴史の見方もまた熟して、戦後10年も経つか経たぬかの小津・原映画も、そう遠くないはない昔なのだという気がします。むしろほんの少し前の昔にすら感じます。若い方には、実感が湧かないかもしれません。今の日本は、ふたたび「戦前」の時代になってきています。
1930年代は、日本が戦争へとなだれこんでゆく時代でした。
現今の情勢、軍靴の音が聞こえてきそうな気配が感じられます。戦争というものは、愚かな指導者の責任だけではありません。当然それを黙然として声をあげず支持した民衆にもその責任の一端はあります。
小津も原も、六千万人とも言われる犠牲者を出した戦争の生き残りでした。
小津作品に底流する戦後の日本の「家庭の幸福」の背後には、深い悲しみから立ち直ろうと、悲しみをふりきろうとしている健気な祈りがあります。
この戦後日本の幸福感を、今の時代に想起する意義はおそらく偶然ではないでしょう。
ただ思い出すだけに留まることなく、深い省察と祈りをもって、堅固な意志、平和を創出する意志へと収斂させなくてはならないでしょう。幼いこどもたちを戦場におくるような事は決してあってはなりません。 わたしたちは、日常生活の小さな会話ひとつにも、平和を作りだす祈りと力をあふれさせる事ができるものです。