わたしたちは、遺伝子の乗り物だと言われています。
遺伝子の構造解明は、あのワトソンとクリックの偉大な功績ですが、いまや、ヒトゲノム情報も解読されています。つまりわたしたちの設計図まで人類は解読し、すでに遺伝子組み換え技術によって、自然界には存在しなかった生き物が人の手によって生産され、それらを私たちは食べています。そのことが今後、どのような結果を生み出してゆくのかは、誰にもわかりません。
人が、科学技術によって、神さまが創造された被造存在以外に、新たな「創造者」として、新たな「被造存在」を造りだす果てに、どのような世界がまちうけているのでしょう。
人は決して神さまにはなれません。真実の創造者にはなれません。
わたしたちに許されているのは、神さまが創造された世界を、神さまの御意志にしたがって保持し、管理し、美しいままのものとして守り続けるという管理責任のみです。
サイエンス・フィクションの世界では、この人間が、その管理責任を踏み越えて、傲慢にもなり、「神のようになろうと」したために、破滅的な世界が現れてしまうというシナリオがさかんに登場します。しかも、それは決して非現実的な危機などではなくて、科学技術革新によって、いずれは現実となるかも知れないのです。
既に放射能汚染は、原発事故によって現実のものとなってしまいました。
『ゴジラ』は、被爆によって突然変異した古代生物が出現するという核汚染を警告する予言的な使信をもっていました。
『ジュラシック・パーク』では人は琥珀の中に封印されていた蚊の血液から恐竜を復元してしまいます。
中東では、狂信者たちがものすごい勢いで世界中から集まり、恐怖支配の版図を拡大しています。
毎日、罪なき人々がわけもなく殺害されています。わが国も戦争をする国に今にもなろうとしています。
たしかに、科学的知見・情報量は昔にくらべれば何千倍も増えました。
しかし、日々ますます、悲劇が繰り返されています。人には「平和」を作りだすことはできないのです。
しかるにわたしたちが、「平和」そのものであられる神、主イエスに希望を託すことによって、わたしたちは「平和」を造りだすことができます。
憎み争いと訣別する力をいただきながら、わたし自身にはできなくても、キリストが「平和」そのものとなってくださるというのです。