◆聖句によせて <クリスマス・メッセージ>
「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」ルカ書2章15節
人類はヒトゲノム情報を解読した。生物はDNAの乗り物で、時間の旅をしている。
中学生の頃、夏休みの自由研究で「進化論」を調べてみた。
進化についての考え方に諸説はあるけれども、それらはひとつの推論、仮説だということはよくわかった。
神さまが、存在を創造したという信仰的な感覚は、諸説の存在を知っても揺らぐことはなかった。
創造信仰は、科学的知見で否定もされないし、崩壊もしない。
神さまが、創造しなければ、これほど豊かな設計図は、偶然性とか、淘汰とか、自然選択とか、適者生存とか、利己的遺伝子とか、たしかにそれらで説明できる事が理性を納得させる事柄もあるにしても、とうていは「創造」されたりしないだろうと。
存在にはわたしたちの知性を遙かに超絶した偉大な意志が働いている。
真実な信仰の 知識は真面目な科学的知識の探求を促進させこそすれ、阻害したりはしない。
世界で最初に、神の子の誕生を神より示された羊飼いたちは、高度なインテリジェンスを駆使して神の啓示を知ったのではなかった。
彼らのこの啓示認識は、素朴な信仰による知であった。
彼らに、地上的に限定された存在ではない、地上的には非存在、この世には存在しないが、信仰においては存在する具体的な存在、言い換えると「天使」が神からの知識を彼らに伝えた。
この知識が、羊飼いたちに同時的に共有・経験された知として、彼らの行動を決定づけた。
こうして羊飼いは、天使の示した神の子誕生の地ベツレヘムへと向かったのであった。
この行動には、なんらの利己的な野心はなく、宗教的な情熱すらない。ただ神の啓示に従うという素朴な受容が彼らを支配していた。
神さまが、創造されたヒトは、神の意志によって存在している。
神の設計したヒトは、神の設計した情報の乗り物だ。
神が創造された情報存在として、羊飼いも、また我らも、歴史という時間の航路を旅している旅人だ。
被造者として、神の独り子なる神の子の誕生を、ただ崇め賛美し、捧げるために、神さまが示す場所へと導かれている、壮大な光景が目に浮かぶようだ。
これぞクリスマスの出来事だ。我らはこの出来事へと大いなる意志に導かれ、心をむなしくして、突き進む。
天使の軍団が、可視的なるものを超えた可視性背景として、この世の音楽ならぬ天的な音響のなかで、出現しているではないか。
「いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」
あの羊飼いと共に、クリスマスの出来事を共感、共有したい。