「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。」 詩編145編14節
「勉強しなさい」と言われた子どもは、まず勉強が嫌いになるのではないでしょうか。
子どもは本当に学びたがっているのです。学びたいこころを、「勉強しなさい」という干渉が折ってしまう。何故なのでしょうか。
文部科学省が2013年春に実施した全国学力・学習状況調査(全国学力調査)の結果、「子供に『勉強しなさい』とよく言っている家庭ほど、子どもの学力は低くなる傾向が見られた」と発表されています。
天才児と言われる子どもは、好きなことに熱中しだすと、数時間でも練習に没頭します。飽きるということがないのです。
おそらく天才児は楽しくて仕方ないのです。「勉強」は「強いて勉める」と書きます。
まさに字の如くで、「強いる」のですから、そこには、どこかに無理があるということでしょう。そこには我慢が伴うことになります。でも、我慢はやはり限界がありますし、効果もどうでしょうか。
ハックルベリ−・フィンのお話を思い出します。
彼は嫌な塀のペンキ塗りを楽しそうにやってみせて、友だちに仕事をまんまとやらせてしまいます。
お話は彼の機転の良さを描いてみせますが、実はペンキ塗りが本当は面白い仕事だという経験を、彼はし損なっていると、わたしは思うのです。
精巧な職人仕事は、何十年も訓練を重ねて磨き上げられます。職人さんは何時間でも細かい作業を丁寧に繰り返します。作り上げる作業を楽しむ心がなければ続くはずはありません。
「お仕事」を通して、子どもたちは作業する楽しみを味わいます。夢中になって「お仕事」に没頭することによって、子どもたちは刻々と成長してゆきます。
神の言葉は、子どもの魂に刻印され、強靱なレジリエンス(「逆境力」「復元力」「回復力」とか訳されている)を形成します。
「神は人を支え起こしてくださる」。この神の言葉は、折れない心を育み、支える力の源になるでしょう。