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    5月の聖句によせて

    • 2014.04.24 Thursday
    • 19:08
    JUGEMテーマ:建学の精神

    「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。」 詩編145編14節

      「勉強しなさい」と言われた子どもは、まず勉強が嫌いになるのではないでしょうか。

    子どもは本当に学びたがっているのです。学びたいこころを、「勉強しなさい」という干渉が折ってしまう。何故なのでしょうか。

      文部科学省が2013年春に実施した全国学力・学習状況調査(全国学力調査)の結果、「子供に『勉強しなさい』とよく言っている家庭ほど、子どもの学力は低くなる傾向が見られた」と発表されています。
     天才児と言われる子どもは、好きなことに熱中しだすと、数時間でも練習に没頭します。飽きるということがないのです。

     おそらく天才児は楽しくて仕方ないのです。「勉強」は「強いて勉める」と書きます。
     まさに字の如くで、「強いる」のですから、そこには、どこかに無理があるということでしょう。そこには我慢が伴うことになります。でも、我慢はやはり限界がありますし、効果もどうでしょうか。

     ハックルベリ−・フィンのお話を思い出します。

     彼は嫌な塀のペンキ塗りを楽しそうにやってみせて、友だちに仕事をまんまとやらせてしまいます。
     お話は彼の機転の良さを描いてみせますが、実はペンキ塗りが本当は面白い仕事だという経験を、彼はし損なっていると、わたしは思うのです。
     精巧な職人仕事は、何十年も訓練を重ねて磨き上げられます。職人さんは何時間でも細かい作業を丁寧に繰り返します。作り上げる作業を楽しむ心がなければ続くはずはありません。

     「お仕事」を通して、子どもたちは作業する楽しみを味わいます。夢中になって「お仕事」に没頭することによって、子どもたちは刻々と成長してゆきます。

     神の言葉は、子どもの魂に刻印され、強靱なレジリエンス(「逆境力」「復元力」「回復力」とか訳されている)を形成します。

      「神は人を支え起こしてくださる」。この神の言葉は、折れない心を育み、支える力の源になるでしょう。

     

    「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、子羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」

    • 2014.04.14 Monday
    • 20:46
    JUGEMテーマ:建学の精神
    4月主題聖句
      「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、子羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」
                                         イザヤ書40章11節
    羊は、羊飼いの声を聞き分けます。羊飼いも羊の個体をすべて識別します。
    この絆は、固く、文字通り生命をかけている絆です。
     群れからはぐれれば、ただちに生命が危機にさらされます。子羊はまっさきに命を狙われます。母羊も羊飼いも子羊を守らねばなりません。子羊を守るためには命の危険をかえりみず、ふるいたって狼や狐と闘います。
     羊飼いにとっては、羊の命と自分の命は同じくらいに大切なのです。
     砂漠遅滞を牧草を求めて旅する羊飼いにとって、命を繋いでくれるのは羊です。羊から乳を搾り、塩とまぜてチーズやバターをつくります。羊の肉を食べるのは生きてゆくためです。羊を食べることは自分の命を繋ぐためであり、それゆえ羊への深い愛着もあったことでしょう。愛する羊は自分自身の血肉となっていることを実感していたことでしょう。
     預言者は、神の民に対して、神さまと自分たちとの関係を、羊飼いと羊に喩えました。いかに主人である神さまが、羊である 神の民を愛してくださっているかを示すためです。羊と共に生き、そして死んでという暮らしをしていた人々にとっては、このたとえは愛をまさに「体感する」現実性をもっていたことでしょう。
     幼児にとって、保育者(父母・家族・親族・教師)から愛されているという強い確信を育むことは、幼稚園生活において、とても重要です。愛されているんだなという体験を毎日、繰り返しあじわうことでこどもたちは、深い次元で、魂の平安のなかで生きる喜びを体感するのです。
     現代は、子どもたちは、社会が作りだした時間の流れに翻弄されて、急がされ、我慢を強いられてしまがちです。わたしたちは賢い保育者になりたいと願います。
     こどもたちが、母体から出てきてまだ間もない小さな人です。
     環境のすべてが、小さな人を日々形成している重要な存在です。
     神さまが創造したもうたこの絶え間なく成長する可能性に充ち満ちた人が、猛烈な勢いで学ぼうとしている事実を、よく観察しましょう。そして愛情をもってみつめ、見守りましょう。今、この人は何をしたいのか。どうすればより適切な関わりとなるのか。学びましょう。
     聖書では、一日は夕方から始まります。こどもは夕方から眠りにつきます。子どもにとって一日は眠りから始まると言い換えましょう。眠っている間にこどもは大きく成長します。子どもの成長に合わせて大人は自分たちの生活を立て直すくらいの配慮がほしいものです。羊飼いが羊をみまもるように。

     

    「わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

    • 2014.04.14 Monday
    • 20:38
    2014年主題聖句 「わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」創世記28章15節後半

     神さまは、わたしたちが願うことを約束してくださったのでしょうか。

     そうであるなら、その神さまはわたしたちの願望がつくりだした「偶像」ではないでしょうか。
    わたしたちの願望の象徴を外在化させただけの「偶像」は、真実な神さまといえるでしょうか。そうではないでしょう。

     わたしたちの「願望」は自分勝手な「エゴ」だったり、せいぜいお仕着せがましい「理想」だったりするので、そんな「神さま」は互いに利害が対立しあって戦争になったりするでしょう。そういう「偶像」は利害対立という人間社会と陰画のように反転している人間の姿ということになるでしょう。

     神さまは、わたしたちが願うことを約束してくださったという筋道ではないでしょう。

    人間を創造したもう神、人間を超越したもう神は、神御自身が創造したもうた人間、宇宙を愛してくださっています。聖書は、神がわたしたちを愛してくださっている事実を伝えているのです。

     神さまの約束とは何か、それは神を信ずるすべての人に永遠の命を与え、神の子としてくださるという約束です。

     「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネ3章16節

         わたしはあなたと共にいる。わたしは決してあなたを見捨てない。

     聖書に鳴り響く神さまのこの言葉を、聞く人は何にも代えがたい貴いものを得るのです。それは自分自身の命です。

     こどもたちに、どのような困窮のなかにあっても、決してこの「希望」を確信し、絶望の状況下にあっても決して希望を捨てない堅忍不抜の精神をもってほしい。

     信仰・希望・愛に充満した人格者となってほしい。この祈りをもって一年を開始いたします。

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