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    ★8月の聖句によせて 「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」

    • 2012.07.18 Wednesday
    • 09:52
     ★8月の聖句によせて
         「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」                                                                                                 詩編84篇6節
     幸福は求める事柄でしょうか。わたしは幸福は、いまここで、すでに在ることそのものを、感じとることのように思います。
     「ああ、いまこの瞬間、神さま、わたしは幸福のなかに在ります。感謝のほかはあいません。神さま!」
       こういう胸にわきあがる幸福感は、「求めて得られる事柄」ということではなく、その人のこころのあり方におおきく左右されているのではないかと・・・・、わたしは思っています。
     わたしたちは、やがて老い、火葬にされ、墓に入ります。わたしたちはわたし自身の幸福を求めるよりも、愛する人々の幸福を願い求めるときにこそ、自分自身が幸福であると感じるのではないでしょうか。
     今回、会津放射能情報センター片岡輝美姉と、アジア学院の荒川朋子姉の講演を聴く機会が与えられました。今後何年続くかわからない放射線との格闘の中で、必至の祈りを捧げながら、こどもたちをいかに内部被曝から守るか、有機農業の志をまげずにアジアの農村指導者育成の使命を継続するか、生き抜いているお二人から大きな励ましをうけて帰ってきました。
      3.11東日本大震災、そして福島第1原発事故は、わたしたちの過去を決定づけました。もう起きてしまったことです。確定している過去は変えることはもはやできません。わたしたちは未来をどのように愛する人々のために生きようとするのでしょうか。愛するこどもたちのために最善を尽くすこと、これが大人のわたしたちの務めです。
     行田に住むわたしたちも、同じ責任をこどもたちに負っています。目に見えない放射能の内部被曝をいかに減らすかという責任です。この責任から目をそらせてはならないと思っています。天上よりの勇気をいただき、今後、わしたちが死ぬまで、若い人々の生命・健康を守るため、まず知識を、次に、具体策を、そしてそれを広くわかちあって行きたいと願っています。子育ての学び会を開催したいと祈っています。テーマは「子どもたちを内部被曝から守る食育」です。

    ★8月の聖句によせて 「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」

    • 2012.07.18 Wednesday
    • 09:52
     ★8月の聖句によせて
         「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」                                                                                                 詩編84篇6節
     幸福は求める事柄でしょうか。わたしは幸福は、いまここで、すでに在ることそのものを、感じとることのように思います。
     「ああ、いまこの瞬間、神さま、わたしは幸福のなかに在ります。感謝のほかはあいません。神さま!」
       こういう胸にわきあがる幸福感は、「求めて得られる事柄」ということではなく、その人のこころのあり方におおきく左右されているのではないかと・・・・、わたしは思っています。
     わたしたちは、やがて老い、火葬にされ、墓に入ります。わたしたちはわたし自身の幸福を求めるよりも、愛する人々の幸福を願い求めるときにこそ、自分自身が幸福であると感じるのではないでしょうか。
     今回、会津放射能情報センター片岡輝美姉と、アジア学院の荒川朋子姉の講演を聴く機会が与えられました。今後何年続くかわからない放射線との格闘の中で、必至の祈りを捧げながら、こどもたちをいかに内部被曝から守るか、有機農業の志をまげずにアジアの農村指導者育成の使命を継続するか、生き抜いているお二人から大きな励ましをうけて帰ってきました。
      3.11東日本大震災、そして福島第1原発事故は、わたしたちの過去を決定づけました。もう起きてしまったことです。確定している過去は変えることはもはやできません。わたしたちは未来をどのように愛する人々のために生きようとするのでしょうか。愛するこどもたちのために最善を尽くすこと、これが大人のわたしたちの務めです。
     行田に住むわたしたちも、同じ責任をこどもたちに負っています。目に見えない放射能の内部被曝をいかに減らすかという責任です。この責任から目をそらせてはならないと思っています。天上よりの勇気をいただき、今後、わしたちが死ぬまで、若い人々の生命・健康を守るため、まず知識を、次に、具体策を、そしてそれを広くわかちあって行きたいと願っています。子育ての学び会を開催したいと祈っています。テーマは「子どもたちを内部被曝から守る食育」です。

    ★8月の聖句によせて 「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」

    • 2012.07.18 Wednesday
    • 09:52
     ★8月の聖句によせて
         「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」                                                                                                 詩編84篇6節
     幸福は求める事柄でしょうか。わたしは幸福は、いまここで、すでに在ることそのものを、感じとることのように思います。
     「ああ、いまこの瞬間、神さま、わたしは幸福のなかに在ります。感謝のほかはあいません。神さま!」
       こういう胸にわきあがる幸福感は、「求めて得られる事柄」ということではなく、その人のこころのあり方におおきく左右されているのではないかと・・・・、わたしは思っています。
     わたしたちは、やがて老い、火葬にされ、墓に入ります。わたしたちはわたし自身の幸福を求めるよりも、愛する人々の幸福を願い求めるときにこそ、自分自身が幸福であると感じるのではないでしょうか。
     今回、会津放射能情報センター片岡輝美姉と、アジア学院の荒川朋子姉の講演を聴く機会が与えられました。今後何年続くかわからない放射線との格闘の中で、必至の祈りを捧げながら、こどもたちをいかに内部被曝から守るか、有機農業の志をまげずにアジアの農村指導者育成の使命を継続するか、生き抜いているお二人から大きな励ましをうけて帰ってきました。
      3.11東日本大震災、そして福島第1原発事故は、わたしたちの過去を決定づけました。もう起きてしまったことです。確定している過去は変えることはもはやできません。わたしたちは未来をどのように愛する人々のために生きようとするのでしょうか。愛するこどもたちのために最善を尽くすこと、これが大人のわたしたちの務めです。
     行田に住むわたしたちも、同じ責任をこどもたちに負っています。目に見えない放射能の内部被曝をいかに減らすかという責任です。この責任から目をそらせてはならないと思っています。天上よりの勇気をいただき、今後、わしたちが死ぬまで、若い人々の生命・健康を守るため、まず知識を、次に、具体策を、そしてそれを広くわかちあって行きたいと願っています。子育ての学び会を開催したいと祈っています。テーマは「子どもたちを内部被曝から守る食育」です。

    ★8月の聖句によせて 「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」

    • 2012.07.18 Wednesday
    • 09:52
     ★8月の聖句によせて
         「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」                                                                                                 詩編84篇6節
     幸福は求める事柄でしょうか。わたしは幸福は、いまここで、すでに在ることそのものを、感じとることのように思います。
     「ああ、いまこの瞬間、神さま、わたしは幸福のなかに在ります。感謝のほかはあいません。神さま!」
       こういう胸にわきあがる幸福感は、「求めて得られる事柄」ということではなく、その人のこころのあり方におおきく左右されているのではないかと・・・・、わたしは思っています。
     わたしたちは、やがて老い、火葬にされ、墓に入ります。わたしたちはわたし自身の幸福を求めるよりも、愛する人々の幸福を願い求めるときにこそ、自分自身が幸福であると感じるのではないでしょうか。
     今回、会津放射能情報センター片岡輝美姉と、アジア学院の荒川朋子姉の講演を聴く機会が与えられました。今後何年続くかわからない放射線との格闘の中で、必至の祈りを捧げながら、こどもたちをいかに内部被曝から守るか、有機農業の志をまげずにアジアの農村指導者育成の使命を継続するか、生き抜いているお二人から大きな励ましをうけて帰ってきました。
      3.11東日本大震災、そして福島第1原発事故は、わたしたちの過去を決定づけました。もう起きてしまったことです。確定している過去は変えることはもはやできません。わたしたちは未来をどのように愛する人々のために生きようとするのでしょうか。愛するこどもたちのために最善を尽くすこと、これが大人のわたしたちの務めです。
     行田に住むわたしたちも、同じ責任をこどもたちに負っています。目に見えない放射能の内部被曝をいかに減らすかという責任です。この責任から目をそらせてはならないと思っています。天上よりの勇気をいただき、今後、わしたちが死ぬまで、若い人々の生命・健康を守るため、まず知識を、次に、具体策を、そしてそれを広くわかちあって行きたいと願っています。子育ての学び会を開催したいと祈っています。テーマは「子どもたちを内部被曝から守る食育」です。

    ◆7月の聖句によせて 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い

    • 2012.07.12 Thursday
    • 14:56
     ◆7月の聖句によせて     主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
        魂を生き返らせてくださる。    詩篇23篇2〜3節 新共同訳
     「清らかな魂」、「清らかな精神」、「清らかさ」をわたしたちは愛します。もうずいぶん前になりますが、「エレファント・マン」(1980)という映画が話題になりました。
     19世紀英国に実在したジョセフ・メリックという方の人生をモデルにしたデビド・リンチ監督の作品です。メリック氏はプロテウス症候群という極めてまれな病気に罹患し通常の外貌が損なわれてしまい、激しい差別やいじめ、虐待に会いました。しかしそれにもかかわらず、優しい心と清らかな魂を失うことなく短い生涯を生き、27歳で事故死しました。
     詩篇のこのみ言に触れると、映画の中でメリック氏が暗唱するシーンが思い浮かびました。美しい女優さんが他方で登場します。観ている者は、外貌の美しい女優さんの示す「差別的な心の醜さ」と、メリック氏の「魂の清らかさ」が見事なコントラストをもって見えてきます。今まで見えていなかったものが見えてきます。
     美しさ、清らかさとはいったい何なのか、目に見えるもの事柄の次元の問題ではないのだ、というメッセージが伝わって来るのです。
      ”私の姿がどこかおかしいのは事実だ
      しかし私を咎めることは神を咎めることだ
      もし私が自分を創りなおすことが出来たならば
      私はあなたを落胆させはしないだろう
      もし私が巨大で塔に触れることが出来たとしても
      あるいは手のひらで海を掴むことが出来たとしても
      私は精神によって測られるべきである
      精神こそが、人間のもの差しなのだから”
                           ― ジョセフ・メリック
    「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
    主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
    主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」
                                 口語訳


    ◆7月の聖句によせて 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い

    • 2012.07.12 Thursday
    • 14:56
     ◆7月の聖句によせて     主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
        魂を生き返らせてくださる。    詩篇23篇2〜3節 新共同訳
     「清らかな魂」、「清らかな精神」、「清らかさ」をわたしたちは愛します。もうずいぶん前になりますが、「エレファント・マン」(1980)という映画が話題になりました。
     19世紀英国に実在したジョセフ・メリックという方の人生をモデルにしたデビド・リンチ監督の作品です。メリック氏はプロテウス症候群という極めてまれな病気に罹患し通常の外貌が損なわれてしまい、激しい差別やいじめ、虐待に会いました。しかしそれにもかかわらず、優しい心と清らかな魂を失うことなく短い生涯を生き、27歳で事故死しました。
     詩篇のこのみ言に触れると、映画の中でメリック氏が暗唱するシーンが思い浮かびました。美しい女優さんが他方で登場します。観ている者は、外貌の美しい女優さんの示す「差別的な心の醜さ」と、メリック氏の「魂の清らかさ」が見事なコントラストをもって見えてきます。今まで見えていなかったものが見えてきます。
     美しさ、清らかさとはいったい何なのか、目に見えるもの事柄の次元の問題ではないのだ、というメッセージが伝わって来るのです。
      ”私の姿がどこかおかしいのは事実だ
      しかし私を咎めることは神を咎めることだ
      もし私が自分を創りなおすことが出来たならば
      私はあなたを落胆させはしないだろう
      もし私が巨大で塔に触れることが出来たとしても
      あるいは手のひらで海を掴むことが出来たとしても
      私は精神によって測られるべきである
      精神こそが、人間のもの差しなのだから”
                           ― ジョセフ・メリック
    「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
    主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
    主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」
                                 口語訳


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