「わたしに従いなさい」と言われた。 マルコによる福音書2章14節
わたしの祖父は日本人ではじめて中国人伝道のために派遣された宣教師として戦時下の北京を離れず、伝道と教育に献身した人でした。朝日新聞社が編纂した『20世紀の千人』という叢書第八巻『教祖・意識変革者の群れ』には、日本人クリスチャンとして植村正久、山室軍平、賀川豊彦と並んで選ばれています。国際ボランティア活動の先駆者のような仕事を開拓した人でした。
その祖父が北京で創設した北京崇貞女学園第1期生である玄次俊姉が桜美林学園創立記念講演のため招聘され、先日わたしも聴講してきました。日本が侵略戦争をしていた時代、明瞭にそれが「侵略」だという認識をもって、中国人のために恩返しとせめてもの罪滅ぼしのために一身を捧げようとした事実を、実際の証言者から聴くことができました。
祖父清水安三先生は、玄姉にはっきりと「日本は神風が吹いて負ける」と予言したそうです。そして祖父の予言の通りとなりました。日本軍部の弾圧が激しくなっている時代、祖父は戦争を回避しようと言論活動、また教育を通して働きました。祖父が論説を書いていた『北京週報』はやがて廃刊に追い込まれました。しかし憲兵が学校を監視するなかでもまことの神への信仰を守り抜いたそうです。
わたしは、いまさらながら祖父の生き方に感銘を受けました。
祖父は単純明快な人です。何の複雑さもありません。膳所中学(現在は高校)時代に、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ先生が、近江八幡でバイブルクラスをはじめた際に、「カマン、ボーイ」(come on boy)と呼ばれたそうです。祖父はとっさに「かまわん、ボーイ」(行ってもかまわん)と思いバイブルクラスに行ったそうです。そしてヴォーリズの弟子となりました。主イエスさまが「通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われ」、レビが「すぐさま立ち上がってイエスに従った」と言われた話とそっくりですね。レビは直ちにイエスさまの弟子となってゆくのです。
人生もう一度生きるとしたら、もう一度同じ人生を歩みたいと祖父は辞世の句を残しています。悔いのない人生は、ただ神から呼ばれたみ声に、即座に答える信仰によって達成される。祖父を思いながらしみじみと想います。