◆聖句によせて
<クリスマス・メッセージ>
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」
マタイによる福音書2章10節
学者とはいえ、この時代の科学は、占星術と現代ではみなされている「学問」でした。そうです。学問の意義内容は現代と古代とは大きく異なっているのです。そして、現代でもその意義内容は刻一刻と変化の途上にあると言ってよい、と私は思います。
占星術と言われているものは、天体の動き、それも動きと言っても肉眼で、徒歩でしか移動することのできない時代の人間が観察できる範囲での動きですが、現代では想像できないほど空気の澄み渡った夜空の中での天体の動き(それはおそらく今では想像できないくらい多くの星が見えたことでしょう)と、人間的な、つまり、ひとりひとりの人生を含む歴史の営みとが、何らかの相関性があるという考え方を意味しています。この考え方は、現代でいう学問の見方から見れば確実な根拠は何もないということになりますので、「迷信」と見なされています。また宗教的な意味で言うと、キリスト教という「宗教」のものの考え方では、人の命運も自然の摂理も一切は唯一の天地創造の神の全権のもとにあるので、その神さまに創造された被造物にすぎない天体が人生を支配(あるいは拘束)するという前提は、造られたもの(被造物)が人間を支配するという意味で「偶像崇拝」に他ならないとして否定されます。
つまり、ここで登場する「学者たち」は、学問的(科学的)には迷信、宗教的には「偶像崇拝」をしている人だということは明らかなのです。どうして、このような「異教徒」の人々が、イエス・キリストというお方(しかしここでは一人の赤子にすぎません)の誕生を知り、喜びにあふれたのでしょうか。
クリスマスは実は1月6日の公現日までを言います。「現れる」という意味のアピアという単語が英語にありますね。それはエピファニーという言葉「顕現」に由来していると言われています。公現日とはまさにエピファニーの意味なのです。
東方の三博士が、(※「学者たち」)(即ち唯一なる天地創造を信ずるイスラエルの民以外の民、ということは全世界《イスラエルだけでなくすべての民》がということなのですが)、主なるイエスを救い主としてまっさきに礼拝に来た存在であった!・・・・・まさに全世界に、まことの神が、ご自身をお現しになられたということ!この喜びをこの聖句は伝えているのです。