◆11月の 聖句によせて
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
ローマの信徒への手紙8章28節
わたしの祖父は日本人最初の中国人伝道者(中国人へのキリスト教宣教師)となった人でした。
祖父は近江兄弟社を創立したウィリアム・メリル・ヴォーリズ氏に導かれキリスト者となり、伝道者となるべく同志社に学び、卒業と同時に中国伝道の幻を神さまから与えられ中国へ渡ります。
同志社の卒業旅行で奈良唐招提寺に遊んだ時に、祖父は盲目になりながらも困難を越え日本に仏教を伝えた鑑真和上の生涯に深く感銘を受けました。
当時の中国は西欧列強の植民地支配に苦しんでいました。祖父は「今こそ日本人が恩返しをする時だ」と一念発起し、「現代の鑑真となって中国のために尽くそう」と決心しました。
奉天で、猛烈な勢いで中国語を学んだといいます。ある裁判で無実の罪で訴えられた青年を弁護する証人席に立った祖父が話す姿を見た人は誰も祖父が日本人とは気がつかなかったというほどになったといわれています。
祖父については山崎朋子氏(日本の幼稚園史や女性史研究の第1人者)が岩波書店から『朝暘門外の虹』という伝記を書いてくれていますので詳しくはその本をお読みください。まるでフィクションのような面白い話しが沢山出てきます。
わたしが祖父を一番尊敬するところは、神さまへの信頼があった人だった点です。
北京で崇貞学園という学園を築きあげましたが、敗戦と共に一夜にしてすべてを賠償金として中国に接収されます。祖母はたった一晩で髪の毛が真っ白になったそうです。しかし祖父は「神与え、神取りたもう。神の御名は誉むべきかな。」と言って祖母を励ましたそうです。
そしてリュックとカバン、財布には千円のみ入れて帰国します。
東京大空襲で変わり果てた東京を前にして祖父は「主よ、焼土と化した敗戦日本再建のために、あなたが用いてくださるなら身を粉にして働きます」と祈りました。
その翌日のことでした。学生数六千人職員数五〇〇人の現桜美林学園の土地建物が与えられることになります。
奇跡が起きました。1945年秋のことです。