スポンサーサイト

  • 2019.03.19 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -

    「わたしたちは、キリストに向かって成長していきます。」

    • 2011.01.28 Friday
    • 16:05
     ◆聖句によせて
    「わたしたちは、キリストに向かって成長していきます。」
                  エフェソの信徒への手紙4章15節 
     「七歳までは夢の中」。夢のような幸福感を味わいつくすことことこそ、幼児期の真の課題です。その幸福感の蓄えことが、小学校へ行ってからの生きる力の基礎となるのです。
     すぐれた人々は、豊かな環境のなかで、存分の愛情を注がれ、内から湧き出でる好奇心や冒険心のままに、時のたつのも忘れて自由に遊ぶ幼児期を経験してきています。
     才能豊かな天才たちは、必ずと言ってよいほど、恵まれた自然、豊かな文化を湛える美しい風土のなかから輩出していると言われます。そのような環境のなかでこそ、自らの内面から生ずる力によって、学びとってゆくことができるのでしょう。何かをやらされるという環境のもとでは、そのような力は抑圧されてゆくばかりです。
      先日、必要があって楽器店に行きました。楽器を眺めていると、「ぼくもピアノを弾いてみたいな」という思いが心のなかに湧いてきました。「ああ、この気持ちが幼い時に育まれていたらなあ」と思いました。わたしは3才のときにヴァイオリンとピアノを「習わされ」ました。悲しいことに、わたしと楽器とは不幸な出会いをしたのです、内側からわき起こる「弾いてみたい」という思いからではなく、母の「弾かせたい」という思いによって、わたしの楽器への愛は塞がれてしまいました。
     練習をすれば子どものわたしでもある程度は弾けるようになります。発表会で弾いている写真がアルバムに残っています。しかし、わたしの楽器への愛は、何十年も封じられてしまいました。
     こどもには、発達の特性があり、それぞれの月齢にふさわしい環境との出会いというものがあります。特に幼児期に発達する情動は、人格形成の基礎づくりです。この大切な時期に、発達特性を無視した一斉授業とか、教科学習のような小学校教育の先取りでしかない「つめこみ」をすることは百害あって一利なし。「幼稚園教育要領」を確認しておきましょう。
     「幼児期における教育は,生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであり,幼稚園教育は、(中略)幼児期の特性を踏まえ,環境を通して行うものであることを基本とする。このため,教師は幼児との信頼関係を十分に築き,幼児と共によりよい教育環境を創造するように努めるものとする。」( 第1 幼稚園教育の基本)
     人は生涯を通じて、発達、成長してゆきます。わたしたち成人もまたその成長の途上にある者なのです。子育てに焦りは禁物です。頭脳優秀でも自分のことしか考えないエゴイストにこどもを育てたくはないでしょう。心豊かで思いやり溢れ、社会に奉仕する人になってほしいのではないでしょうか。

      ある日飛来し去った小鳥

    「わたしたちは、キリストに向かって成長していきます。」

    • 2011.01.28 Friday
    • 16:05
     ◆聖句によせて
    「わたしたちは、キリストに向かって成長していきます。」
                  エフェソの信徒への手紙4章15節 
     「七歳までは夢の中」。夢のような幸福感を味わいつくすことことこそ、幼児期の真の課題です。その幸福感の蓄えことが、小学校へ行ってからの生きる力の基礎となるのです。
     すぐれた人々は、豊かな環境のなかで、存分の愛情を注がれ、内から湧き出でる好奇心や冒険心のままに、時のたつのも忘れて自由に遊ぶ幼児期を経験してきています。
     才能豊かな天才たちは、必ずと言ってよいほど、恵まれた自然、豊かな文化を湛える美しい風土のなかから輩出していると言われます。そのような環境のなかでこそ、自らの内面から生ずる力によって、学びとってゆくことができるのでしょう。何かをやらされるという環境のもとでは、そのような力は抑圧されてゆくばかりです。
      先日、必要があって楽器店に行きました。楽器を眺めていると、「ぼくもピアノを弾いてみたいな」という思いが心のなかに湧いてきました。「ああ、この気持ちが幼い時に育まれていたらなあ」と思いました。わたしは3才のときにヴァイオリンとピアノを「習わされ」ました。悲しいことに、わたしと楽器とは不幸な出会いをしたのです、内側からわき起こる「弾いてみたい」という思いからではなく、母の「弾かせたい」という思いによって、わたしの楽器への愛は塞がれてしまいました。
     練習をすれば子どものわたしでもある程度は弾けるようになります。発表会で弾いている写真がアルバムに残っています。しかし、わたしの楽器への愛は、何十年も封じられてしまいました。
     こどもには、発達の特性があり、それぞれの月齢にふさわしい環境との出会いというものがあります。特に幼児期に発達する情動は、人格形成の基礎づくりです。この大切な時期に、発達特性を無視した一斉授業とか、教科学習のような小学校教育の先取りでしかない「つめこみ」をすることは百害あって一利なし。「幼稚園教育要領」を確認しておきましょう。
     「幼児期における教育は,生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであり,幼稚園教育は、(中略)幼児期の特性を踏まえ,環境を通して行うものであることを基本とする。このため,教師は幼児との信頼関係を十分に築き,幼児と共によりよい教育環境を創造するように努めるものとする。」( 第1 幼稚園教育の基本)
     人は生涯を通じて、発達、成長してゆきます。わたしたち成人もまたその成長の途上にある者なのです。子育てに焦りは禁物です。頭脳優秀でも自分のことしか考えないエゴイストにこどもを育てたくはないでしょう。心豊かで思いやり溢れ、社会に奉仕する人になってほしいのではないでしょうか。

      ある日飛来し去った小鳥

    新年あけましておめでとうございます。

    • 2011.01.11 Tuesday
    • 09:53
    ◆聖句によせて

       「神は言われた『光あれ』。」     創世記1章3節

     世界をどう捉えるのか、世界認識の根拠を創造主による創造のみ業に観るものの考え方であり、信仰の告白です。世界そのものを神的な存在と観るのか、それとも創造主のみ業によるものと観るのかでは、ものの見方が違ってきます。

     すばらしい世界、こんなにも素敵な世界を感じるとき、わたしたちはかくも感動的な大自然そのものを神として崇めるのではなく、こんなにも素敵な自然をわたしたちのために、創りだし、いまここで与えてくださった神さまが、こんなにも感動する私自身をも創ってくださったことをに、さらに感動しかつ感謝せざるを得ないのではないでしょうか。すばらしい自然を、すばらしいものとして感じる私をも神は創造してくださった!

     この感動を伝えたい。この豊かな感性を養いたい。科学は、この美しい世界を、自然に感動をもって見つめ、飽かず観察し、そこに溢れてくる神秘に感動する魂から始まります。科学教育は感動教育から始まるのです。

     この音は聞いていると気持ちがよい。美しい、心が和み癒される。このメロディーはどうでしょう。なんて素敵なんだろう!歌う喜び、聴く喜び、奏でる喜び、それを豊かに感じてほしい。

     周知のように音楽は教会から始まっています。神を讃える歌、感謝の歌、喜びの歌・・・。指揮者小澤征爾氏と音楽の出会いは讃美歌でした。母親のさくらさんはわたしの祖父が牧師をしていた北京の教会で礼拝を守っていたクリスチャンだった、と聞いています。一家はことあるごとに家族で讃美歌を合唱していたそうです。

     ホザナ幼稚園のこどもたちは歌が大好きです。歌う喜びを存分に味わってほしい!これはわたしたちの祈りです。音楽と科学、絵画と国語、幼稚園では全部がつながっています。自由とは、気ままのことではありません。よりよく書けた!よりよく描けた!というそのときの満足感の体験をたくさんたくさんすることで、獲得してゆくものです。その意味で、自由とは自発的な無我夢中の境地で達成される新しい能力や意欲の獲得のことなのです。子どもたちに教えるのではなく、神が与えたもう創造の賜物を最大限に伸ばす事、それがホザナがめざす保育です。共に、このようなまなざしをもって子どもたちを見守りましょう!

    ann

    新年あけましておめでとうございます。

    • 2011.01.11 Tuesday
    • 09:53
    ◆聖句によせて
       「神は言われた『光あれ』。」     創世記1章3節
     世界をどう捉えるのか、世界認識の根拠を創造主による創造のみ業に観るものの考え方であり、信仰の告白です。世界そのものを神的な存在と観るのか、それとも創造主のみ業によるものと観るのかでは、ものの見方が違ってきます。
     すばらしい世界、こんなにも素敵な世界を感じるとき、わたしたちはかくも感動的な大自然そのものを神として崇めるのではなく、こんなにも素敵な自然をわたしたちのために、創りだし、いまここで与えてくださった神さまが、こんなにも感動する私自身をも創ってくださったことをに、さらに感動しかつ感謝せざるを得ないのではないでしょうか。すばらしい自然を、すばらしいものとして感じる私をも神は創造してくださった!
     この感動を伝えたい。この豊かな感性を養いたい。科学は、この美しい世界を、自然に感動をもって見つめ、飽かず観察し、そこに溢れてくる神秘に感動する魂から始まります。科学教育は感動教育から始まるのです。
     この音は聞いていると気持ちがよい。美しい、心が和み癒される。このメロディーはどうでしょう。なんて素敵なんだろう!歌う喜び、聴く喜び、奏でる喜び、それを豊かに感じてほしい。
     周知のように音楽は教会から始まっています。神を讃える歌、感謝の歌、喜びの歌・・・。指揮者小澤征爾氏と音楽の出会いは讃美歌でした。母親のさくらさんはわたしの祖父が牧師をしていた北京の教会で礼拝を守っていたクリスチャンだった、と聞いています。一家はことあるごとに家族で讃美歌を合唱していたそうです。
     ホザナ幼稚園のこどもたちは歌が大好きです。歌う喜びを存分に味わってほしい!これはわたしたちの祈りです。音楽と科学、絵画と国語、幼稚園では全部がつながっています。自由とは、気ままのことではありません。よりよく書けた!よりよく描けた!というそのときの満足感の体験をたくさんたくさんすることで、獲得してゆくものです。その意味で、自由とは自発的な無我夢中の境地で達成される新しい能力や意欲の獲得のことなのです。子どもたちに教えるのではなく、神が与えたもう創造の賜物を最大限に伸ばす事、それがホザナがめざす保育です。共に、このようなまなざしをもって子どもたちを見守りましょう!
    ann

    PR

    calendar

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    3031     
    << January 2011 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • キリスト教主義教育における神の像の提示について
      エムト (10/10)

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM