いかに楽しいことでしょう。主に感謝することは。 詩編92篇2節
「あなたにとって楽しいときって、どんなときですか?」こう質問されたとしたら、あなたははどうお答えになりますか?
わたしも、考えてみました。どんなときだろう。楽しいなと感じるときって・・・。
こどもと一緒に動物園に行ったこと、子どもと一緒にキャンプに行ったこと、こどもと一緒に入学式に行ったこと・・・・。思い出すことはみなこどもとのふれあいばかりです。いまでも、こどもと会うときは、幸福な気持ちが湧いて来ます。こどもは親にとっては、自分の命以上の存在です。まるで自分はこどものために生きているような気持ちになります。こどものために何かできたと思うときは深い満足感があります。
こどもが、父であるわたしに、「ありがとう。」と照れくさそうに言うとき、わたしは親として当然だと思うことをしているだけだと思いながらも、こどもは、そうは受けとめず、「ありがとう」と感謝してくれることを嬉しく思います。もしかすると、親がこどもを養うのは当然だろうと心の隅では思っているかもしれない、でも言葉に出して言ってくれる。わたしも照れくさい思いを隠しながら「ああ」とか「うん」とか答えます。こころのなかで、「よかった」という安堵感があります。たぶん、そういうときが、「楽しいとき」なのかもしれません。
おそらく、わたしたちはそういう気持ちになるように、神さまによって創造されているのでしょう。そして、それはきっと、たぶん・・・・、神さまがわたしたちを思ってくださる思いも、同じような思いなのではないか、そう思うのです。
こどもの、その感謝の言葉を語る表情を思い出すと、胸がつまります。そしてなにか甘美な思いが湧いてくるのです。自分もこうして愛されてきたという記憶と共に。
神さまは、おそらく、わたしたちが、「オトン、ありがとう。オカン、ありがとう」(リイー・フランキー流に言うとですが)と言うとき、神さまは、涙を流して喜んでくれていると思います。そんな神さまに感謝する。そんな風にわたしたちを創ってくれた神さまに感謝する。そんな神さまを思うときって、「楽しい」って言うのかな、そんな気がしてきます。