◆主題聖句によせて
「一緒に喜んでください。」
ルカによる福音書15章6節
イエスさまはあるとき、たとえ話をされました。
あなたがたのなかで、100匹の羊を飼っている人がいて、そのうち一匹が迷子になってしまいました。羊飼いは、ほかの99匹を野原に残して、その見失ってしまった一匹の羊を見つけ出すまで探し回らないでしょうか。そして、見つけたら、喜んで羊を担いで、家に帰り、友だちや近所の人を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うでしょう。
行方がわからなくなった一匹の羊を、必死に探し回る羊飼いの姿には、人をどこまでも愛して、愛をもって探したもう神さまを見いだすことができます。そして見つけたときには、大勢の人々と共に喜びを分かち合おうとされる姿に、深い愛を感じます。
愛の対象を発見したときに、喜びを分かち合おうとされる神さまの愛を幼児に伝えることは、ただ言葉で伝えるだけでは困難です。人を愛する経験、愛される経験が豊かにあればこそ、その喜びを知ることができるのではないでしょうか。
幼児期に豊かに愛される経験を豊富に持つことことはなんと幸いなことでしょう。
「38年前の昭和47年、中部地方の小さな町で6歳女児と5歳男児の姉弟が実父により、犬小屋同然のトタン小屋で1年半にわたり監禁される事件があった。 救出後、特別な治療教育チームが組まれ、約20年に及ぶ発達支援が行われた。重大なネグレクト(育児放棄)から救出された子供の「その後」の詳細な記録は、世界中で6例しかない。」
衝撃的な事件でした。保護された二人はしゃべることも歩くこともできなかったといいます。施設で栄養条件が改善され、みるみる体重や身長は増してゆきめざましい発達をとげたそうです。識者によれば「目覚ましい発達の鍵となったのは、保育士の女性との『愛着』の成立だった」そうです。この「愛着とは、乳幼児期に母親など1人の養育者と結ばれる強い絆(きずな)のことで、通常、生後12カ月前後で成立する。「人見知り」も同じころピークを迎えるが、これも養育者との愛着の裏返しであり、健全な発達ぶりを示すもの」です。
(http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/snk20100525038.html参照)
豊かな愛の経験は、豊かな心身の発達を促すのです。人は愛されることによって、愛することができるようになります。
愛は決断です。見守る決断をした成熟した保育者に見守られているという安心を得るために、こどもたちは愛を確かめる行動にでます。新学期には毎年必ず独り庭にパァと飛び出してゆくこどもがいます。そういう飛び出し行動は休み明けや、病気あけにもたびたびみられます。これは、愛を確認したいというこどもたちの無意識の選択なのです。
そのようなとき、保育者は他のこどもたちをお部屋に残して、飛び出したことどもを探しに行きます。経験の浅い保育者はお部屋に残したこどもが心配で不安でいっぱいになるものですが、経験を積んだ保育者は悠然と探しに出ます。お部屋に残ったこどもたちは、残されても大丈夫なこどもたちだということを知っているからです。
見つけ出したときの保育者の喜び、その愛の表情を、飛び出したこどもは経験する必要があるのです。そして愛されるぬくもりとその喜びを、抱きしめられながら味わいつつお部屋に戻るという繰り返しをしてゆくことで、愛し・愛されるという愛着関係を形成してゆくのです。
愛着によって安心しているこどもは、離れることが可能になります。自立の道はこうしてつくられてゆくのです。