2019年2月聖句によせて 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」  ローマの信徒への手紙12章15節

  • 2019.02.04 Monday
  • 10:08

◆聖句によせて 2019年1月25日 「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」 ローマの信徒への手紙12章15節  

 人間相互の共感性保持を、あえて凝縮して、定言的命法(無条件に「〜せよ」と命じる絶対的命法)で語る神のみ言葉として、深く心に刻まれます。

 

 使徒パウロの言葉ではあるけれども、パウロに注がれている聖霊の語りたもうた神の定言命令としか、わたしには思えません。

 

 「喜ぶ者」がどんな喜びに包まれているのか。

 

 「泣く者」がどんな悲しみに沈んでいるのか。

 

 一切語られていなくても、その「喜び」、その「悲しみ」が、共感すべき「喜び、悲しみ」であることは命令法自体が既に含んでいます。すなわち、「邪悪な喜び」、「邪悪な悲しみ」は、定言命令法自体が排除している。人として「高潔な喜び」、「尊厳ある悲しみ」にこそ、共感しなさいと命じているのです。

 

 隣人の「喜び」に共感できる力、「悲しみ」に共感できる力。この力は、端的に「愛」の力と言ってよいでしょう。

 

 親は、こどもの「喜び」に共感して自らの「喜び」と感じます。

 

 こどもの「悲しみ」に共感して自らも深く悲しみ、痛みます。

 

 こどもは親の「喜び」を、自らの「喜び」として「喜び」ます。

 

 こどもが何かを達成し得た時の、親の喜びは、こどもに深い「喜び」として心に刻まれます。親の喜ぶさまを観たいと願うようになります。

 

 また、親を悲しませたくないと願うようになります。

 

 この共感する力の循環は、わたしたちの心に響く神の定言的命令によって、限りなく永続してゆくのではないでしょうか。

 

 「観てみ観て!わたし、できたよ!」と誇らしげに自分の達成した「成果物」の評価を、親に求めるのは、「親の喜ぶありさま」を観たい・感じたいからではないでしょうか。

 

 自分自身が密やかに喜んでいるだけではなく、親にも共に喜んでほしい!親もまた、子どもが喜ぶ姿を、心から祈り願うでしょう。  

 

 隣人の「喜び」を、率直に「喜べる」ことは、隣人との紐帯を堅くします。隣人の「傷み・悲しみ」に、素直に「同調」することは、「礼節」ですらあります。

 

 「共感力」を深めること、この「力の循環」を育むこと、それがわたしたちの共通の祈り、願いでありましょう。  

JUGEMテーマ:建学の精神

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