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    2018年9月 聖句によせて 「ザアカイは急いでおりてきて、喜んでイエスを迎えた。」

    • 2018.10.01 Monday
    • 22:29

     ◆聖句によせて   
      「ザアカイは急いでおりてきて、喜んでイエスを迎えた。」
                        ルカによる福音書19章6節
      背が低かったザアカイが、イエスという青年を一目見たいと、木に登って、イエスを盗み見ていたところ、青年イエスは気がつき、見上げてザアカイをご覧になり、今日は、あなたのところに泊まりたいとおっしゃった。
     ザアカイは喜んで、イエスを家に案内してもてなした。
     そういうイエスとの邂逅の出来事ですが、このなんの変哲もないような出会いの出来事から、無限の神の愛を感じとり、多くのキリスト者は神と人を愛するエネルギーをくみ上げてきました。
     ザアカイは、社会的に疎外された立場の人であったと想像されています。
     裕福とまではいかなかったとしても客人を宿泊させるに足る部屋とか食事の用意とかが可能な社会層ではあったようですが、人間関係においては、彼に道を譲ったりする同情をかけてもらえるような人物でもなかったようです。人知れずにイエスを樹上から見るほかないという事情は、彼が置かれていた状況を想像させます。
     そのような彼の自己感情は、自己肯定感が低い多くの人々の自己感情とつながってきます。それは、「自分のようなものは神さまの愛に値しない存在なのだ」という自尊心が傷つけられたこころの状態です。自分が尊い存在なのだという、自己肯定感を充分にもつことができていない状態です。
      被虐待、自主的選択の機会を奪われる、無条件に受容された経験が少ないなどにより、おそらくザアカイは、苛烈な競争、身分差別、身体的な特徴を揶揄されるなどされて心に傷をもっていたのではないかと思うのです。「こんな自分は、神と人から愛されるような存在ではないんだ」  という、傷ついた心です。
     イエスという青年は、このザアカイの傷ついた魂を、敏感に感じとり、声をかけられたに違いありません。神さまは、愛を求めて傷ついた魂を救い、共にとどまられる方だということを、この出来事は指し示しています。だから、この逸話からは、無限の神の愛がくみ取られてきたのです。

    JUGEMテーマ:建学の精神

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