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    ◆7月の聖句によせて 「天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ。」詩編96編11節

    • 2017.07.01 Saturday
    • 01:42

    JUGEMテーマ:建学の精神


      なんと気宇壮大な、とてつもなくスケールが大きい喜びが語られていることだろう。しかも、大地に向かって「踊れ」と叫んでいる。
     自由なこどもは、飛び跳ねるという。(エリクソン)
     そのとおりだ。

     トランポリンがあれば、こどもたちはまちがいなく、四六時中飛び跳ねている。
     自由遊びの時間、子どもらは、笑いながら走り回っている。追いかけっこをしたり、鬼ごっこをしたり、跳ね回るといったほうがいいくらいに、転げても、起き上がり、泣いても、笑っても、それがたまらく面白いのだ。


     大地から数センチでも数十センチでも、跳び上がるという行為は、「自由」を求める人間の根源的な欲求に基づいている。

     

     地球の重力という強大な力にあらがい、空中に飛び跳ねている、その刹那は、それだけ「地」から自由に、「天」に向かっての存在になりきっている。こどもらは、この「自由」を本能的に求めている。


     こどもらが、跳ね回り、走り回り遊ぶことによって、この「自由」を、全身で味わっているのだ。


     したがって、幼児期においては、遊びは、自由を味わうことであるのだから、自ずから自発的であり、人生のその瞬間にしか味わうことができない感動に満たされているものなのである。


     だから、こどもひとりひとりが、自由を味わう喜びこそが、「遊び」なのであるから、集団として型にはめて、一定の方向に全員を顔をむけさせて行う「一斉授業」(保育)は根底から、この本質的な喜びを妨げるものなので、幼児期には、極力避けねばならない。


     こどもらは嬉しい時に、跳ねる。楽しい時に跳ねる。


     そして、ときには、くるくるとまわって、目を回してみる。


     すると、世界がグルグルして、フラフラになる。それがまたたまらなく、こどもらを楽しませる。いろいろとやってみる。


     石段を駈け上ってみる。塀の上をはしってみる。水たまりがあれば、入ってみる。泥だらけになったら、なったで面白がる。 

     


     世界と、「天」と「地」と、自由にかけまわって、世界を感じとる。

     


     われらは、高原を登り切った尾根から、平らに広がる広大な高原の景色を眼下に見下ろすとき、「天」「地」が接する世界、宇宙を感じるものだが、

     この世界を感動する経験を、こどもらは日々しているといってよい。

     

     こどもの視線からみれば、「こどもの庭」(キンダーガルテン=幼稚園)は、十分に冒険に値する小宇宙だ。


     わたしたちの園は、「一斉保育」では味わえない、世界を喜び世界を飛び出す、人生ただ一回の感動の経験を、幼稚園でいっぱい味わってほしいと祈るのである。

     

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