10月の聖句によせて 「あなたがたは地の塩である。」   マタイによる福音書5章13節

  • 2016.10.01 Saturday
  • 01:27

      「あなたがたは地の塩である。」   マタイによる福音書5章13節 主イエスは、

 

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」と言われています。

 

 通常は、土壌に塩分が高濃度で含まれているならば、そこに繁茂する植物は限られてしまい、決して豊かな土壌とは言えませんが、主イエスは、むしろ「塩」を土壌を貧しくする成分とはせずに、必要不可欠な成分だと言っているように思われます。

 

 「塩に塩気がなくなる」ということがあるでしょうか。自然現象ではあり得ませんよね。塩化ナトリウムは、どこまでも塩化ナトリウムですから、濃度が薄まれば、味が薄まることはあっても、別のものになることはありません。

 

 ですから、これはメタファー(隠喩:たとえの形式をはっきり示さずにたとえる方法)でしょう。

 

「塩気を失った塩」は、「塩」らしい働きをしなくなる「塩」の比喩になっています。

 

 この譬えは、意味深長です。土壌にとっては塩が塩らしく働けば、植物は育ちにくいやせた、貧しい土壌になりますから、人間の暮らし向きには役立ちません。

 

 土壌には、塩の働きはない方が人間の利便には有益なのです。

 

 それなのに、主イエスは、なぜ土壌にとって、塩が必要不可欠な成分だと言っているのでしょうか。

 

 極端なまでに、塩気のない塩は投げ捨てられ、踏みつけられるとまで言われます。

 

 塩気が、それほど大切なのだと強調されるのです。なぜでしょうか。

 

 植物を育て、養い、大きく成長される土壌には、さまざまな成分が含まれています。

 

 その成分が単一であることよりも、多様であることが土壌にとっては豊かだと言えましょう。

 

 塩はそのなかの1つですが、人間と土壌を結ぶ成分の1つでもあります。

 

 人は神さまによって「土」(アダマー)から創造されましたが、やがて再び「土」に帰ってゆきます。

 

 「塵から産まれ、塵に帰る」のです。人の身体は、塩なくしてはあり得ません。

 

 人が生き、そして死んでゆく悠久の営みが土壌を生成してきているのです。塩は人と地球を結ぶ成分なのです。

 

 この塩が、塩としての働きを果たしていることは、人間の利便性という一部の局面だけでは判断できない、無限の意味がある。

 

 主イエスは、わたしたちの目先の目的に合うか合わないかだけで、ものを判断してはならないということを、さとしておられるのかもしれません。

 

 はやり土壌には、どうしても塩が必要な理由があるのです。それが何かはわたしたちに、にわかにはわからないところでも。

 

 

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