10月の聖句によせて 「わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る」ハバクク3:18

  • 2015.10.02 Friday
  • 19:38
  JUGEMテーマ:建学の精神

 こどもたちは踊りが大好きです。3歳になる孫も嬉しいときには、喜びを全身で表します。
それがおのずからなる「ダンス」になっています。

 孫は新江ノ島水族館のドルフィリア(イルカショー)が大好きです。
着飾った四人の「アクアン」(イルカと仲良くと遊ぶお姉さん)のパフォーマンスを見るためには何十分でも待ちます。家に帰ってからは自分が「アクアン」になりきって踊ります。
 こどもは美しいものをまねて、自分も「やってみたい」と願い、やがて身につけてゆくのです。

 小学校の音楽の時間でした。清家先生(松沢小学校)は、「音楽を聴き、自分が指揮者になったつもりで指揮棒を振ってみなさい」と言われました。転校生だった「ボク」(当時六年生)は、緊張して身体がこわばって動けませんでした。でも、心ではどんなに動かしたかったことでしょう。今でも鮮明に覚えています。


「指揮者になりきる少女」がyoutubeで大人気です。まるで天下の大指揮者のような表情まで表現している姿が全世界を感動させています。「ボク」もあんなふうにやってみたかったなあとしみじみと少年時代を回顧したものです。

 おまつりでも、アートでも、踊ることが自然にできる環境がわたしたちには欠かせません。心を解放して、全身を動かすことが喜びを生み出すのです。

 ラグビーワールドカップ対南アフリカ戦を観て、心が躍りました。ぶつかり合う肉体。フォワードもバックスも次から次へとボールをつないでゆく連携、瞬時の判断。ほれぼれしました。
 これもある意味で、「ダンス」なのかもしれません。一時も同じプレイはありません。臨機応変、自在に身体を動かして行く判断力。大局と局所を同時にみて、動く読解力。世界一練習したとエデイ・ジョーンズコーチが自信をもって語っていた賜物があの動きだったのです。
 あの時間、ただ一度限りの芸術的な身体の「ダンス」を創り出したものは、たえざる練習、創意工夫された練習、目的を見据えた練習の賜物でした。

 不自由さから解放させ、忍耐力、持続力、社会的な判断を「練習」で獲得してゆく。
 練習を継続させ、心技体共に結実させてゆく。
「やってみたい」という内発的な動機を、現実に発現させてゆく「意志」を支えるものは、ほかでもない、それこそが「やってみたい」です。

 アルファをオメガへと貫かせる「持続する意志」を、限界まで守ることが教育です。これが「自由保育」です。

 「やりたい」と心から願ったこと。「ピアノを弾きたい」、「鉄棒をやりたい」、「バレエをやりたい」、それがなんであれ、「できた!」という達成の喜びをあじわうこと、それは神さまの創造の喜びを写しだした出来事なのです。

 神さまがわたしたちを創造したもうた時に、「よかった」と語られた存在の喜びなのです。
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