3月の聖句によせて

  • 2014.03.05 Wednesday
  • 20:13
◆聖句によせて
「希望はわたしたちを欺くことはありません。」
                     ローマの信徒への手紙5章5節
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中でもっとも大いなるものは、愛である。」                                                                                コリント信徒への第1の手紙13章13節

 「いつまでも、残るのは・・・・・・」

 ホザナの子どもたちがくちずさんでいる歌の言葉です。

 この言葉が心に刻まれているだけでも、人生にとって、大きな宝だと、わたしは思うのです。

 人生いかに生きるべきか。その屋台骨が明確であれば、人として歩むべき道をふみはずすことはありません。

 「詮方尽きれども、希望を失わず」この言葉も思い起こされます。

 この聖書の言葉はわたしの祖父の座右の銘でした。

 どのような困難のなかに置かれたとしても、万策尽きるような境遇にあっても、決して希望を失うことはないと、キリストを信じて生き抜く者を支える言葉だというのです。

   祖父は、日中戦争のただ中にあって、中国の貧しい子女を教育し、人生を捧げた人でした。

 「北京の聖者」と言われ、北京が灰燼に帰する危機を救った人でした。

 敗戦を迎え、北京朝暘門外にあった「崇貞学園」は、一晩明けると校舎、運動場、体育館、図書館等すべてが接収されました。

  邦人に携帯が許されたのは、一人千円と身の回り品のみとなりました。

  祖母の清水郁子(わが国で最初に男女共学論を提唱したフェミニズムの教育者)は一晩で白髪になったそうです。

そんな祖母に向かって祖父清水安三は、旧約聖書のヨブの言葉をもって祖母を慰めたといいます。

 「神与えたもう、神とりたもう。神の御名はほむべきかな」だよと。

 すべてのものは神さまが与えてくださったものだ。だから神さまはすべてのものをわたしたちから奪い去ることも神さまの自由な意志なのだ。

 だからこそ、すべてのものを支配したもう神さまの御名をほめたたえようではないか。

 自分のものを自分の所有だと執着していれば、失うときには悲しいものだが、与えるのも神さまならば奪うのも神さまなのだと得心しているなら、父親のような神さまが、わたしたちによいことをしてくださらない筈はないと信頼できるではないか。どのようなことが起きても、わたしたちにできることは神さまの自由な意志をほめたたえることだけなのだと。

 1945年9月に、祖父母は引き揚げ者としてリュック、トランクを持って、焼け野原となった東京に立ちました。

 そして「もし神さまが、わたしを用いてくださるなら、身を粉にして働きます」と祈りました。

  翌日、神さまは現在の桜美林学園となる土地・建物を与えたもうたのです。

  桜美林学園創立は1946年春のことです。

 ホザナ幼稚園の、建学の精神であるキリスト教精神は、実際に、神の言葉によって力強く生きてきた先達の生きた証しから引き継がれてゆくべきだと信じています。

 
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