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    聖句によせて

    • 2013.11.29 Friday
    • 16:31
    JUGEMテーマ:建学の精神
     
                      ホザナだより
                                           2012年11月29日
    ◆聖句によせて <クリスマス・メッセージ>
    「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
    お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。」
    ミカ書5章1節
      主イエスさまは、いと小さき者の神です。聖書には、小さい者が大きな者に立ち向かい勝利をおさめる少年ダビデの物語があります。神さまは外見ではなく内心の魂を観られます。ダビデは羊飼いの少年にすぎませんでしたが、神さまの選びたもうた王さまだったのです。イスラエルの民は、小さな少年に神さまの力が宿っていることを信じました。イスラエル民族の命運を少年に託したのです。
     少年ダビデには、通常わたしたちがイメージしているような威厳があったとは思えません。ですから民らは彼の外見を観て従ったのでないでしょう。彼は見るからに華奢で、美しく芸術を愛する少年でしたから、王さまというより詩人か音楽家に見えたことでしょう。どうして民らはダビデに従ったのでしょう。わたしは思うのですが、それはこの小さな者に、神さまからの特別な王としての「選び」がある、神さまが彼を用いているのだと、信じていたからではないでしょうか。
     イエスさまは、このダビデ王の子孫であるヨセフさんの家に生まれました。「ダビデの子」と呼ばれるのは、メシア(キリスト)はダビデ王の末裔だという期待があったからでしょう。でも、王さまの子孫だからといって、ヨセフさんは決して裕福な家柄だった訳でも、王さまだった訳でもありません。しかも、イエスさまとヨセフさんとは、血でつながった親子ではありませんでした。イエスさまは母マリアさんが聖霊によって身ごもったと聖書は伝えています。神さまの力によって、神さまのひとり子としてお生まれになったのです。
     人々は、こどもは父と母によって生まれてくると経験から知っています。この経験則は、イエスさまの御誕生を危険にさらしたことは、まず間違いありません。ヨセフさんは、身ごもったマリアさんを密かに離縁しようとしたほどでした。ですから、イエスさまの御誕生は、王の王としてお生まれになったにもかかわらず、この世では、いと小さき者としてお生まれになったということなのです。
     イエスさまは、いと小さき者(それはすべての人間です。)をすべての罪悪から救い出されるために、おん自ら、小さき者のなかの小さき者としてお生まれになられたのではないかと、わたしには思えるのです。
     ホザナでは、いと小さき者をこそ目をとめられるイエスさまのように、いと小さき者をこそ大切にしようという優しい心を育てたいと祈り続けています。
     

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