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- 2019.03.19 Tuesday
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JUGEMテーマ:建学の精神
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書28章20節
主イエスさまは、十字架上で、わたしたち人の罪を贖うために死なれました。わたしたちが父でありたもう神さまと離れてしまったので、わたしたちはすべてだれひとりの例外なく、神さまと隣人を愛することができず、むしろ憎む心を受け継いで生まれてきたのです。
本来は、神さまの子どもとして、神さまの愛を受けて、神さまを父として愛し、神さまの愛の体現者として生まれてくるはずでしたが、人類の始祖アダムとエバは、神さまの戒めを破り、楽園から追放されてしまったからです。
それで、神さまが創造された世界は、天国(神の支配という意味)から地獄へと変わり果ててしまいました。そこに住んでいる人は神の支配ではなく、自己中心的な自我を神の座にしているので、世界は変わり果ててしまいました。この生き地獄のような世界を神の国(神の支配=天国)へと、再び創造するために、主イエスはお生まれになりました。主イエスさまは「インマヌエル」(神われらと共にいますという意味)と呼ばれるであろうと、天使ガブリエルはマリアに告げ知らせましたね。
イエスさまは、神さまから離れてしまい、自分を神とする傲慢な人を再び「神の子」として再創造するために、人の罪をなきものとする「贖罪の犠牲」となり、ご自身をお捧げになられたのです。人が受けるとしたら、滅びるより他はない「罪」(神さまと離れていること)の懲罰を、ご自身を「犠牲の子羊」として捧げ、神の独り子なる神でありながら、神なき世界(神を喪失せいた世界=陰府)へと降って行かれたのです。
しかし、主イエスは、三日後に、死の世界(神なき世界)からよみがえられて、復活者イエスとして、人類の前に現れてくださいました。そして40日間、500人以上の人びとと共に寝食を共にして、ついに弟子たちの見ている目の前で、天へと昇って行かれました。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というみことばは、よみがえられた主イエスさまが、天へと昇り、父なる神の右に帰られる際、聖霊なる神として再び人類と共に存在してくださることを約束してくださったみことばです。それゆえに人は、「聖霊よ、来て下さい。」Veni Sancte Spiritus ヴェニ・サンクテ・スピリトゥスと祈るのです。