本日は、主イエス・キリストが十字架上で御受難された日です。祈祷会までに、お泊まり保育の下見を終わらせて園に戻りたかったけれど、10分ほど遅れてしまいました。
でも、今日は卒園生のEくんのご一家が来てくれました。ヨハネ福音書からイエス様のお祈りの箇所を読み、「とりなし」の意味を学びました。
まだ小学二年生のEくんがいるのでわかりやすいように具体的なお話しをしました。
むすこのKOKIが、この春、ヨーロッパ旅行をした際に、お金を盗まれてしまったという経験をしました。遠い異国の地で途方にくれていたとき、アフリカから来ていたクリスチャンに出会い、荒んでいた気持ちから抜け出ることができたという「みやげ話」を息子はしてくれました。
お金がなくなってしまった息子は路上で「折り紙」のパフォーマンス(大道芸)でいくらかのお金をいただいて、数十円で買えるバケットで飢えをしのぎ、帰りの便まですごしたそうです。同じ大道芸をしていたアフリカ系の青年が、折り紙を1ユーロで買ってくれたそうです。
身の上話ををお互いにしあっていると、彼は、「君のお金を盗んだ人を憎まないでほしい。」というのだそうです。理由は、そのようなことは確かに悪いことだけれど、その人にもどんな事情があるかわからない。もしかすると、その人もやむにやまれぬ事情があったのかもしれないというのです。
息子は、途方にくれていたときに、自分にもそんな気持ちがわかるような気がしたと言って、憎んだり恨んだりする心から抜け出ることができたと言っていました。
アフリカから来ていたクリスチャンの青年は、みもしらない「泥棒」と息子の間にたって、「とりなし」をしたんだね、という話をしました。
もうひとつの「とりなし」のお話です。 わたしの祖父は、かつて中国で、「崇貞学園」という学校を開き、伝道と教育の事業に従事していました。あるとき、宋哲元軍と日本軍が北京を戦場に激突するかもしれないという危険が迫ってきました。なんとかして北京が戦火に焼けることを防がねばならないと思い立った祖父は、まずは欧米から来ていた宣教師たちを説得し、協力して日本軍と宋軍とを説得してまわりました。 結果、北京は戦火を免れたというのです。
これも「とりなし」のひとつですね。敵も味方もなく、北京の町と人々を守るために、神様と人の良心を信じて説得すれば、必ずその祈りはきかれるという証です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年のお泊まり保育は大間々の小平にあるバンガローです。バーベキューや藍染(中島紺屋)など、体験学習を主としています。今年は特に少人数なので、例年よりずっと一人ひとりが主役になれるでしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
蛇足です。小さな縁ですが、知己を得ている有田芳生氏が、4月20日(火)行田市教育研修センターみらいのホールで、民主党の大野もとひろ氏と討論会をするそうなので、是非聞きに行きたいと思っています。時間など詳細がわかり次第、このブログでも報告します。(有田氏は民主党の公認候補となったそうです。)