2018年12月 聖句によせて   「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」マタイによる福音書2章10節

  • 2018.12.03 Monday
  • 09:38

JUGEMテーマ:建学の精神

◆聖句によせて <クリスマス・メッセージ>    

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」マタイによる福音書2章10節

 

   神の啓示と宇宙にはなにかしらの関係があるという事実を示している聖句です。


わたしはこどもの頃からプラネタリウムが大好きで、当時は最新鋭だった五島プラネタリウムへ、母によく連れて行ってもらいました。
 名著『星と神話伝説』(野尻抱影著)を夢中になって読んでは星空に夢をはせていた少年でした。

 わたしは、何が不思議といってこれほど不思議なことがあるのかなと思ったのは、真北を示す北極星の存在でした。北斗七星から見つけ出した北極星を眺めては、「神さまはすごいなあ」と感動していました。


 東方の博士たちは、古代の天文学者です。

 澄み切った乾燥したメソポタミアの砂漠では、旅をするときに方向を知る手段は星空でした。

 北極星(ポーラースター)の存在は、天空の地図を描く時に欠かせない基準点になった筈です。

 星を観察することで占星術はやがて天文学へと発展してゆきます。

 

 当時は人類の命運・人生の命運と天空の星とが何かしらのつながりがあると古代人は直感して生きていました。

 

 星の運行と人生を切り離して純粋な観察者の態度と対象世界を分離独立させる科学的態度がやがて確立してゆきます。

 天文学の誕生です。

 
 宇宙についての学問は、急速に進歩して、宇宙創生の科学的な知見はどんどん緻密になっています。そして限りある地球環境は人類の急速な人口増大とそれに伴う劇的な環境破壊によって、この惑星は生物環境の限界に近づいています。

  
 東方の天文学者たちが歓喜した星の発見とは、キリスト・イエスの誕生を啓示でした。

 神さまによって創られた存在である星(被造物)が、神さまの意思を伝える出来事となったのでした。

 

 地球という環境世界の危機に際して、キリスト・イエスを指し示す「星」を、わたしたちは観ることができるでしょうか。

 

 希望は既に示されました(クリスマス)。

 

 わたしたちの周囲に、この「星」を見いだして、ともどもに歓喜の歌を歌いたいと思います。

 

 神は信じる者に、必ずやその「星」を示してくださることでしょう。

 

2018年11月 聖句によせて  「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」

  • 2018.10.28 Sunday
  • 21:34

    「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」
                            ヨハネによる福音書15章1節   

イエス・キリストがご自身を語る独特な比喩です。「わたしは〜である」と言いきっておられます。もちろん比喩であることは一目瞭然です。
「ぶどうの木」という比喩を聴いたときに、わたしたちが想像力が全開して、さまざまなイメージの世界へと導かれます。

 

 このイエスさまの自己開示を、わたしたち自身が、どのように受けとめ、それを自分自身の人格を形成し、陶冶し、支える「神の言」としてゆけるのか。

 言い換えると、信仰の言として、この言葉を魂から受けとめることができるかどうかで、この言葉を生きてゆく霊の糧とできるか、素通りするかがほぼ決まります。


 イエスは、「人はパンのみにて生くるにあらず。神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる。」と語られました。

 

 苦難の最中で、呻吟しながらも、神の言葉にすがり、支えられて、再び生きる力を取り戻してゆくという体験は誰にでもあるでしょう。たとえ、その支える言葉が、実は神の口から出ているという事実を知らない場合であってもです

 


 イエスは父なる神とご自身との関係を父子として自覚されていました。

 

 イエスの地上での父ヨセフは大工でしたから、「わたしの父は農夫」と言われているのは「父なる神」を指していると考えられるからです。


 「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。」

 

 イエスは神とご自身との関係を父子として、かつわたしたち人間とご自身との関係を、「ぶどうの木」と「その枝」と言われました。
 この比喩により、わたしたちと神さまとの関係もまた、「父子」であることを宣言されていることになります。

 

 主イエスの存在につながっている「枝」であるわたしたちは人間は、主イエスの肢体の一部だというのです。

 すなわち、主イエスは、わたしたち人間と神さまとの関係は、主イエスの枝であるがゆえに、「父子」なのだというのです。わたしたちは創造主なる神を、「父よ」と呼びうる存在なのだとイエスは宣言してくださったのです。

 
 なんという恵みでしょうか。わたしたちは、神さまから、「子よ」と呼ばれるものとされているというのです。

 

 子どもたちひとりは、主イエスの「枝」であるのですから「神の子」なのです。

 尊い存在なのです。そのような視点で、こどもたちをみつめることが教育の原点であるべきでしょう。

 

 子どもたちはひとしく尊い神の子なのです。       

JUGEMテーマ:建学の精神

2018年10月聖句によせて 「わたしは植え、アポロは注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」    

  • 2018.10.01 Monday
  • 22:34

◆聖句によせて 「わたしは植え、アポロは注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」    

                                                 コリントの信徒への手紙毅馨錬鏡
 わたしたちは、数え切れないほどに多くの人々の「おかげ」をこうむって生きています。どんなにあがいても、自分が生まれてくる場所や環境を自分が選んで生まれてくるという選択肢をもって生まれてくることはできません。わたしたちは、それを運命とか宿命とかの言葉で表現せずに、神さまの意思によって生まれて来たととらえます。何かの法則とか、定めとかではなくて、創造者なる神さまの明確な意思、決断が、ひとりひとりに注がれているし、いま、この瞬間も神さまの見守りのなかで生きている、そう世界をとらえています。

 

 今日、誰と出会い、どんな会話をして、どんな気持ちになるか。それもこれも神さまの見守りのうちに、私たちは、神さまの願いを浴びながら生きている。


 出会いさせていただく人々、大人たち、お友だち、お店の人、幼稚園の先生・・・。こどもたちの出合う環境世界は、神さまのはかりしれないご計画、御意志によって、わたしたち(こどもたち)に備えられた恵みの世界です。


 この素晴らしい出会いによって、わたしたち(こどもたち)は、着実に、ひとりひとり、それぞれに「成熟」「成長」が心身に生起しています。この毎日の微妙な変化に、静まって目を凝らし、耳をすませて、思いめぐらしましょう。この日々変えられている「成長」の徴を喜びましょう。この喜びを喜び、神さまへの賛美としましょう。


 使徒パウロは、神の愛の福音を全世界の人々に伝えましたが、実際には出合った一人一人に伝えたのです。伝えられた人がまた他の人に伝えて、世界に神の愛の福音は伝わって、人類の生きる支えとなっています。しかし彼は、「わたしは植えた」と言い、そして「アポロは注いだ」と加えたのです。彼は、愛の福音が伝わってゆく力の根源は、決して自分の能力によるものとはしなかったのです。

 

  出会う環境世界のすべては、神さまが備えてくださっている。

 

 多くの人びとが、わたしたち(こどもたち)の「成長」を促してくれている。

 

 この環境世界(神さまに用意された世界)への揺るぎない信頼感が、人格を豊かに「成長」させてくれると考えたのです。

 

 さらに肝心な事は、わたしたち(こどもたち)自身が、実はどのような苛酷な環境に出会っても、それを自分自身を高み・深み・広がりの世界へと導くものとして昇華させる力(生きる力)を、神より賜っているのだという「自己」を信じることでもありました(自己肯定感)。

 


 自己をとりまく環境世界への信頼、自己自身への深い信頼、自己肯定感に充満した人格形成こそ、私たちの目標です。信頼こそが信仰なのです。

 

 

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