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    2019.聖句によせて  「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイによる福音書28章20節

    • 2019.03.15 Friday
    • 23:52

    JUGEMテーマ:建学の精神

    「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書28章20節 

     

     主イエスさまは、十字架上で、わたしたち人の罪を贖うために死なれました。わたしたちが父でありたもう神さまと離れてしまったので、わたしたちはすべてだれひとりの例外なく、神さまと隣人を愛することができず、むしろ憎む心を受け継いで生まれてきたのです。

     

     本来は、神さまの子どもとして、神さまの愛を受けて、神さまを父として愛し、神さまの愛の体現者として生まれてくるはずでしたが、人類の始祖アダムとエバは、神さまの戒めを破り、楽園から追放されてしまったからです。

     

     それで、神さまが創造された世界は、天国(神の支配という意味)から地獄へと変わり果ててしまいました。そこに住んでいる人は神の支配ではなく、自己中心的な自我を神の座にしているので、世界は変わり果ててしまいました。この生き地獄のような世界を神の国(神の支配=天国)へと、再び創造するために、主イエスはお生まれになりました。主イエスさまは「インマヌエル」(神われらと共にいますという意味)と呼ばれるであろうと、天使ガブリエルはマリアに告げ知らせましたね。

     

     イエスさまは、神さまから離れてしまい、自分を神とする傲慢な人を再び「神の子」として再創造するために、人の罪をなきものとする「贖罪の犠牲」となり、ご自身をお捧げになられたのです。人が受けるとしたら、滅びるより他はない「罪」(神さまと離れていること)の懲罰を、ご自身を「犠牲の子羊」として捧げ、神の独り子なる神でありながら、神なき世界(神を喪失せいた世界=陰府)へと降って行かれたのです。

     

     しかし、主イエスは、三日後に、死の世界(神なき世界)からよみがえられて、復活者イエスとして、人類の前に現れてくださいました。そして40日間、500人以上の人びとと共に寝食を共にして、ついに弟子たちの見ている目の前で、天へと昇って行かれました。

     

     「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というみことばは、よみがえられた主イエスさまが、天へと昇り、父なる神の右に帰られる際、聖霊なる神として再び人類と共に存在してくださることを約束してくださったみことばです。それゆえに人は、「聖霊よ、来て下さい。」Veni Sancte Spiritus ヴェニ・サンクテ・スピリトゥスと祈るのです。

     

    2019年2月聖句によせて 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」  ローマの信徒への手紙12章15節

    • 2019.02.04 Monday
    • 10:08

    ◆聖句によせて 2019年1月25日 「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」 ローマの信徒への手紙12章15節  

     人間相互の共感性保持を、あえて凝縮して、定言的命法(無条件に「〜せよ」と命じる絶対的命法)で語る神のみ言葉として、深く心に刻まれます。

     

     使徒パウロの言葉ではあるけれども、パウロに注がれている聖霊の語りたもうた神の定言命令としか、わたしには思えません。

     

     「喜ぶ者」がどんな喜びに包まれているのか。

     

     「泣く者」がどんな悲しみに沈んでいるのか。

     

     一切語られていなくても、その「喜び」、その「悲しみ」が、共感すべき「喜び、悲しみ」であることは命令法自体が既に含んでいます。すなわち、「邪悪な喜び」、「邪悪な悲しみ」は、定言命令法自体が排除している。人として「高潔な喜び」、「尊厳ある悲しみ」にこそ、共感しなさいと命じているのです。

     

     隣人の「喜び」に共感できる力、「悲しみ」に共感できる力。この力は、端的に「愛」の力と言ってよいでしょう。

     

     親は、こどもの「喜び」に共感して自らの「喜び」と感じます。

     

     こどもの「悲しみ」に共感して自らも深く悲しみ、痛みます。

     

     こどもは親の「喜び」を、自らの「喜び」として「喜び」ます。

     

     こどもが何かを達成し得た時の、親の喜びは、こどもに深い「喜び」として心に刻まれます。親の喜ぶさまを観たいと願うようになります。

     

     また、親を悲しませたくないと願うようになります。

     

     この共感する力の循環は、わたしたちの心に響く神の定言的命令によって、限りなく永続してゆくのではないでしょうか。

     

     「観てみ観て!わたし、できたよ!」と誇らしげに自分の達成した「成果物」の評価を、親に求めるのは、「親の喜ぶありさま」を観たい・感じたいからではないでしょうか。

     

     自分自身が密やかに喜んでいるだけではなく、親にも共に喜んでほしい!親もまた、子どもが喜ぶ姿を、心から祈り願うでしょう。  

     

     隣人の「喜び」を、率直に「喜べる」ことは、隣人との紐帯を堅くします。隣人の「傷み・悲しみ」に、素直に「同調」することは、「礼節」ですらあります。

     

     「共感力」を深めること、この「力の循環」を育むこと、それがわたしたちの共通の祈り、願いでありましょう。  

    JUGEMテーマ:建学の精神

    2019年1月の聖句によせて 「求めなさい。そうすれば、与えられる。」マタイによる福音書7章7節 

    • 2019.02.04 Monday
    • 10:05

    ◆1月の聖句によせて
    「求めなさい。そうすれば、与えられる。」マタイによる福音書7章7節

    JUGEMテーマ:建学の精神

     

       この主イエスのみ言葉には、究極の「積極的思考法」が表明されています。
     もちろん、思考するだけで、それに伴う努力とか精進とかなければ、求めにふさわしい結果を得ることはできません。何も望まないところ、求めないところには、何の結果も生まれては来ません。まず、自己自身が、何を欲しているのか、明確な自覚があってこそ、その目標を目指しての生活が始められるものです。
     ただ、いわゆる「ポジティブ・シンキング」には、マインドコントロールの罠が仕込んであるので、わたしは眉に唾をつけてみることにしています。誰もが抱いている劣等感や自尊感情の低さを利用して、巧みに隷属的な状態へと誘導する「自己啓発」が社会問題にもなっています。しかし「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。」(マタイ12:33)
     「木をその実を見れば分かる」ものです。
     主イエスが語られたみ言葉には。人を操り奴隷に変えてしまうような要素は微塵もありません。むしろ、究極的な自己実現の思考法というべきでしょう。
     「求める」という動機が、自分自身のなかに生まれてくることが、大切だということです。しかも、その「求める」ことの中身が重要です。
     主イエスが「求めなさい」と命じておられる事柄が、「悪事」でないのは当然でしょう。神さまが「悪事」をなさることはあり得ないし、命じることもあり得ません。神さま(イエスさま)が命じる事柄は、「善」であり、「完全さ」であり、「正しさ(正義)」であり、「公正さ」であり、あらゆる「よきもの」です。
     神さまは、わたしたちひとりひとりに、わたしたちひとりひとりにとって「よきもの」を実現するように、あらゆる「よきもの」を「求める」ことを、こよなく切に、求めておられる。神さまご自身が、わたしたちにとって「よきもの」の実現を求めておられるからこそ、「求めなさい」と命じたもう。
     新しい、一年が、お一人お一人にとって、最善、最大、最高の「よきもの」が実現されるように、強く「求める」動機が生まれますように、天よりの恵み(ギフト)が賜与されますようにと、心より祈ります。
                                 ハッピー・ニューイヤー!
     

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