12月の聖句によせて 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」    

  • 2017.11.27 Monday
  • 22:50

◆聖句によせて <クリスマス・メッセージ> 

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」 ルカ2章14節

 

  最近、『ALWAYS 三丁目の夕日』を続編と共に、観ました。二度目でした。

 

 一作目のなかで、芥川賞を目指す貧乏文士龍之介おじちゃんが、ひょんな事で同居するようになった10歳の淳之介少年のために、サンタのプレゼントを演出するというシーンがあります。
 

   この淳之介少年は、時代設定として、ちょうど私自身と重なるので、この映画のシーンは、昔の生活感がスウっと伝わってくるのです。わたし自身がサンタのプレゼントの思い出を振り返ってみると、靴下を枕元に置いて眠ったなと思い出せるのは、小学校二年生頃でしたでしょうか。
 

   子ども時代、わたしの家族は布団を出し入れする生活でした。

  部屋の隅の一番端っこに布団を敷いて寝ることを好む子どもでした。

 

  夏の暑い夜には、壁の冷たい感触を味わえるのは一番端っこだったし、カーテンの模様、それはクリスマスツリーのような樹木のデザインでしたが、それを眺めながら物語の空想に耽ることが楽しいこともあったからです。
 

 クリスマス・イブにはサンタクロースが来ることが楽しみで、プレゼントにも胸を膨らませていたものでした。
 

 淳之介少年が10歳と言えば、小学校4年生です。

 そろそろサンタクロースが「お父ちゃん・お母ちゃん」ではないかと感づきはじめるか、もう感づいている年頃です。
 

 映画の中では、一瞬ですが、淳之介はサンタクロースを信じていましたね。

 

 彼は急いで家の外まで飛んでいってあたりを見回しました。

 すると手を振って帰って行くサンタクロースを目撃するのです。(実は龍之介おじちゃんの演出だったんでだすけどね。)

 

 「サンタクロースって嘘だと思っていたけど、本当だったんだ。」
 

  淳之介少年は目を輝かせながら呟き、

 「おじちゃん!サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれたんだよ!本当にサンタクロースっていたんだね。」、
 

 「おお、そうか。何をもって来てくれたのかな?あけて見せてごらん。」
 

 「うわああ、万年筆!どうしてボクが欲しかったものがわかったんだろう?」
 

  確かこんな会話が続きました。
 

  目をキラキラさせて喜ぶ淳之介少年を、微笑みながら見つめるおじちゃん。
 

  つい泣けてしまうシーンでした。
 

  神さまは、愛する人の喜ぶさまを観たいというこころを私たちに創造してくださいました。
 

 神さまが創造してくださったわたしたち自身の、この「喜びの構造」は、偶然の積み重ねで進化してきたものなのでしょうか。
 

 偶然にしては、あまりに手が込んでいますね。
 

 神さまご自身がわたしたち人間が喜ぶさまを観て、実は喜びたいと願っておられるのではないでしょうか。
 

 「喜びの構造」は神さまの願いに由来しているからこそ、わたしたちの愛の基本構造となっている。
 

 わたしたち大人たちは、子どもたちに、この愛の基本構造への揺らぐことのない信頼感を、魂の奥底に育てる責任があると考えています。

 

JUGEMテーマ:建学の精神

ホザナだより11月

  • 2017.10.31 Tuesday
  • 17:12

「ふたり、三人がわたしの名によって、集まるところには、わたしもその中にいる。」       マタイによる福音書18章20節

 

 「人間」という日本語は、関係存在を表示している言葉ですが、そもそも「ヒト」という存在は、単独では生存しておらず、その誕生から、終焉まで、関係存在なのであるという厳粛な事実を、またその存在の本質を表出していると言えましょう。

 

 

 

 幼児教育の主要な目的は、「ヒト」が関係存在として生きるということのために、いま与えられた諸条件のなかで、最善の環境を提供することにあります。

 

 主イエス・キリストは、この世に存在するという仕方を、神が選ばれたことにより、わたしたち人間と同じ姿をもって、この地上を歩かれました。それゆえに、神は、主イエス・キリストによって、わたしたち人間と同じ感覚をもたれた方として、わたしたちの隣に存在しておられます。

 

 

 わたしたちの痛みは、主イエスの痛みと同質の痛みであるので、神は、わたしたちの痛みを、ご自身の痛みとして、わたしたち自身の痛みをわたしたちと同じ痛みとして感覚しておられるのです。

 

 身体性をイエスという姿でもたれた神は、「ヒト」の痛みを、ご自身の痛みとして感覚されていたもう。この神の身体性こそ、受肉という事であり、この受肉という事こそ、「ヒト」が、身体が贖われる(贖罪=救い)根拠です。

 

 

 わたしたちの身体は、キリストの肢体によって贖われたがゆえに、「ヒト」は、神の肢体として、やがてはキリストに連なる枝々として永遠の生命を生きるようになる、これがキリストによる救いです。

 

  この教説は、キリスト信仰の概略です。

 

 実はこの教説を基礎として、幼児教育が始まっているのです。

 

 ただ子どもたちを育てるということは、特別な思想がなくても行われています。

 さまざまな、教育法が喧伝され、将来に不安を覚える親たちが早期教育や、スパルタ式のシゴキ教育に幻惑されるのは世の常です。

 

 

 しかし、本来の幼児教育は、そのような動機から創められたものではありません。

 

  世界最初の保育所は、牧師ジャン・フレデリック・オベリンによって、幼稚園は、フレーベル(牧師の息子)によって始められました。幼児教育の祖と言われるペスタロッチもキリスト者です。

 

  このように、幼児教育が創められる根本動機は、こども自身を、「神によって創造された尊い一個の人格存在として、他者との関係性を獲得してゆくために環境を整える」ということでした。

 

 

 主イエスは、「ヒト」と「ヒト」との「あいだ」には、「ヒト」を越えた超越者が存在し、超越しつつ、「ヒト」と「ヒト」のそれぞれの「個」にも、内在しているのだということを、生涯をとおして学んでゆくべき課題(賜物)として示されたのです。

 

  この課題には、特定の宗教の区別などありません。万人にとって、この課題は真実なのです。 

 

 

 

JUGEMテーマ:建学の精神

2017年10月聖句によせて  「アブラムは、主の言葉にしたがって旅立った。」  創世記12章4節

  • 2017.10.02 Monday
  • 00:40

◆聖句によせて  「アブラムは、主の言葉にしたがって旅立った。」  創世記12章4節

 

 初代文部大臣森有礼の孫に森有正という人がいました。

 

お父さまは森明といい、キリスト教の牧師でした。

 

有正氏は生後間もなく幼児洗礼を受け、6歳の頃からフランス語やラテン語を学び、終生フランス語で思索することができた希有な方でした。

 

 

 東京大学の職を辞しフランスに永く暮らされ、ヨーロッパの基督教の息吹をパリから美しくも鮮烈な文章で送り続け、多くの人を魅了しました。

 

 

 パイプオルガンの名手でもあり、哲学的思索と音楽に生きるということの美しさを体現されたような人として、わたしは今も強く憧れています。

 

 

 同氏が国際基督教大学で、講演されたアブラハム物語についての省察は、青年時代のわたくしに強烈な啓示的な感動を与えました。

 

 アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を創始したといっても言い過ぎでない世界宗教の源流に位置する人物です。

 

 イスラエルという名を神によって与えられたヤコブは、アブラハムの孫にあたります。

 

 創世記は、アブラハム、イサク、ヤコブの物語で大半をしめています。

 

 「信仰の祖」と言われるこの人を神は、召し出されました。いわゆる「召命」の出来事です。

 

 神さまによって、呼び出された出来事を、「召命」と呼んでいるのです。

 

 英語では、コーリングと言います。まさに神さまが呼んだ出来事だからです。

 

 英語でもドイツ語(「ベルーフ」)でも天職を意味する言葉は、「神さまが呼び出された」という意味から言葉が形成されています。生業に生きることは神の呼び出しだというのです。

 

 アブラハムは、神の声を聴いて、行き先を知らずして旅立ちました。

 

 およそ旅立つという行為は、行き先をめざして出発するものですが、アブラハムは、行き先を知りませんでした。

 

 神はただ「私が示す地へ行きなさい」とだけ命じられたのでした。

 

 森有正氏のフランス行きも、神の声を聴いたからかもしれません。

 

 同氏は、この「行き先を知らず」に旅だったアブラハムの姿に、信仰というもの事柄の原点を見ていたと思います。

 

 わたしたちの人生も、実は旅先を知らない旅そのものではないでしょうか。

 

 わたしたちは、常に、この旅の途上にあるのではないでしょうか。

 

 「一瞬先は闇」のような世界だけれども、わたしたちは、安心して旅を続けています。

 

 どうして安心していられるのか。患難辛苦も時には襲来する。安穏平和な日々もある。

 

 辛いときも、悲しい時も、喜びの時も、わたしたちの旅を根底から支えて、その都度、行くべき道を示してくださる方がいることを感じます。

 

 人生は苦しみさえもひっくるめて、神さまに導かれている。

 

 こうした安心立命の旅を、アブラハムは一番最初に人類に示してくれました。

 

 森有正氏もその旅に生き、そして逝った、わたしはそう思っています。

 

 

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